あなたに似た人

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最近のニュースでNetflixがロアルト・ダールの全作品の権利を入手したと聞いた。話題のオリジナル作品も多く生み出す映像ストリーミングサービスの雄が、今、ロアルト・ダールを欲しかったんですか、そうですかと興味深かったのだがこの本を読んで確かに今だに面白いものねと納得したのである。

 

私にとってロアルト・ダールといえば「チャーリーとチョコレート工場」「魔女がいっぱい」である。幼少期の本を読み始めの頃に覚えた不気味さや不協和音の感覚、にもかかわらず何だか派手で愉快という独特の世界観に夢中になって読んでいたような記憶がある。

 

本書は田村隆一氏による邦訳が上梓されてから半世紀以上、先日、「日々翻訳ざんげ」を読んだばかりの田口俊樹氏による2013年発行の新訳である。

 

薄い紙で指を切ってしまって対して血はさほど出ていないのにピリッと痛む。そんな切れ味の鋭い小説である。漫然と読み流すと一瞬意味がわからなくて、読み直すとああそうかと思う。1編が非常に短く最小化されている。風刺画のようにも思えるストーリーは、するする読み進められるが不足はなく最適化されている。

 

下品にならない残酷さ、皮肉やウイット、身近に潜む不気味さがある。1953年に出版されたにも関わらず、新訳が出版され今だにNetflixにも欲しがられるのはさもありなんと思わせられる時代を感じさせない本である。

 

「おとなしい狂気」この手のトリックは今だに時々目にするが始めたのはこの作家なのだろうか。「わが愛しき妻、可愛い人よ」嫌だ嫌だと言いながら実は妻の言い分に逆らわないのは自分も同じだからではないのかしらね。夫婦は写し鏡のようになることがある。「ギャロッピング・フォクスリー」ハンサムに対する妙に具体的な憎しみは過去だけがきっかけではないのではないのかしら。

 

こういう人身近にいそうだと思うのと同時に、人は自分に似た他人をもって自分自身を写し見ているのではなかろうかと思わせられる。いつまでも色褪せない作家の短編集であった。

 

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