おらおらでひとりいぐも

オペラみたいな小説だ。壮大なひとりオペラ。

語られる東北弁が雰囲気を出し、身のうちに抱える自分自身が小腸の絨毛突起のようにふわりふわりとたゆたいながら自らに語りかける。

 

それは登場人物の少なさや、都合自分語りの多くなる構成を物ともせずに、物語に起伏を生み出し、孤独を感じる年老いた女性の一人語りを、ただのボヤキでなく、一人の人間の生きざまを味わうところにまで昇華させている。

 

大金持ちでなく、大天才でなく、ひどく貧しい訳ではなく、ひどい悪人は登場しない。市井の人としての人生。しかし簡単に「普通の」と形容されてしまいそうな人生にも、むろん屈託や後悔や懺悔はあるのである。

 

愛した夫に早く先立たれ、子供たちとは疎遠になっている桃子さん。最近は長く暮らした家で一人過ごすことばかり。これから一人でどうやって生きていこうと思うことが増えている。

 

肉体的には男性より弱いとされ、人によっては妊娠出産、介護や仕事によって身体を酷使し、それでも男性より長生きする女性という性をずっと不思議に思っていた。

 

しかし本書を読んで、環境の変化に混乱し動揺しながら対応同化してきたことそのものが、女性を長く生きさせる背景ではないかと感じる。

 

しなやかとか柔軟とか、そんな爽やかな言葉で表現できることではない。つど、もがき、悩み、苦しんで、それでも好きなものを見つけて楽しむことができる。

 

他者と向かい合って生きて、変わりゆく自分に混乱しつつ、変化した自分を自らのものする鍛えられた強さを持つこと、そのこと自体が生き物として強くなる背景にあるのではないか。

 

身体的に強いものが長く生きるわけではない、弱いからすぐ死ぬわけではない。人は一人で生き、一人で死んでいく。それでも人を愛し、己と向き合い生きていくことは、特別な人でなくともこれほどのドラマを生むのだということを再確認できる本であった。

 

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