アイヌ文化で読み解くゴールデンカムイ

いい加減になんでもかんでも熊嵐を引き合いに出すのはよせという向きもあるかと思いますが、アイヌと言えば北海道で羆だもの仕方ないじゃないということで。

少々大げさに言えば、未曾有の羆被害について書かれた熊嵐が「自然」を神として畏れ敬う信仰の本だとすれば、アイヌについて書かれたこの本は「環境」を信仰し、ともに生きる生き方について書かれた本だ。

熊嵐では、人々が北海道でやっと辿り着いた過酷な環境でなんとか生活をしだした矢先に羆に襲われてひどい目にあい、終始悲壮感に満ちているのに対して、アイヌの人々は過酷な環境の北海道で生き羆や狼、クズリなど人に相対する生き物と生きるのは同じでありながら、環境を生き物を自分たちの生きるすべを尊び楽しんでいるように見える。

狩の道具となる弓矢や刀の充実した装備。狩猟や戦いの相手となる強い自然動物。言葉の中にうんことかが平気で出てくるアホっぽさ。非常に厨二心(ないし小学生男子心)がくすぐられる。

その生き方はある意味でわかりやすく合理的であり、環境に対して意外なほど対等だ。

アイヌが信仰するカムイとは、人間をとりまく全てのものを指しており、いわゆる「神」としてしまうのはちょっと違うのではないかと著者は言う。

アイヌの伝統的な考え方では犬や猫、狼や羆などの生き物もカムイだし、家や舟、鍋に小刀といった人工物、そして水や火もカムイなのだそうだ。

人間の周りにあって、人間が生きるためになんらかの関わりを持っているすべてのもの。つまり「環境」である。

カムイは割と感情的だ。汚いものが大嫌い、綺麗なものが好き。人間がカムイを粗末にしたら怒って次からおみやげをくれなくなる。

人を食べたら地獄に落ちるから自分のこと食べない方がいいよ~と人間に脅されれば、え、マジで?!じゃあやめとくわ、と言ったかどうかは知らないが食べない。そこは交渉の余地あるんだ笑。

非常に人間的だなと思うのだが、カムイはカムイの世界では人の形をしていてそれが生き物や道具の皮をかぶって人間界に降りてきているということらしいのでなんとなく納得。

アイヌの人々はカムイが人間的であることを肯定し、でもそこは信仰の対象だから嫌われちゃマズイし好かれすぎてもマズイってんで、どう付き合うかの手段が妙に具体的で面白い。

カムイは良いカムイも悪いカムイも汚いものが大嫌い。だから悪いカムイ(ウェンカムイ)に嫌われるように子どもには汚いものの名前をつけよう「祖父の尻の穴」とか「うんこのかたまり」とか。う~ん、小学生男子!

そしてカムイは綺麗なものが好き。だから悪いカムイに気に入られないように綺麗なものには近づいてはいけない。花や虹は綺麗だから近づくのやめときな!

子どもにうんこの名前をつけて綺麗なものには近づくな、か~。成長過程ハードモードじゃない?笑。でも、楽しそうだな。

羆も鮭も生き物はカムイの贈り物であるからあますところなく全て食べたり加工したりして大切にしましょう。素晴らしすぎるだろう。そして衣装格好良すぎるだろう。

ゴールデンカムイが流行ったとはいえ、こんなエコで厨二で愉快なアイヌの生き方、見直されるべくして見直されたのだなと納得の読了であった。

 

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