サピエンス全史 上

ユヴァル・ノア・ハラリは言うのである。

まったくホモサピときたら自分たちは賢い賢いと言いながら、オーストラリア大陸にいっちゃあ大量の種の大型動物を絶滅させ、アメリカ大陸にいっちゃあ殆どの種の大型動物を絶滅させ、恐ろしい話だよと。

そうかと思えば狩猟をすてて小麦(を育てる農耕)の家畜になって、住む場所を固定させられ、飢饉や伝染病のリスクを招いて、自由な生活とバランスのとれた食生活を失ったり、滑稽な話だよね~みたいに。

 

アンタもホモサピだけどな、そう思いながら今さら何年か前に流行ったこの本を読むのである。ホモ・サピエンス(賢いヒト)の歴史全部とな。

 

この本が売れたポイントの一つは字の大きさと上下巻に分けたことではないかと思う。フォントの調節をして二段組にでもしたら1冊の少し厚めの本として作ることは出来たはずだ。しかし、そうしたら絶対にこの本はここまで売れなかっただろう。

 

現代において、文の読みやすさというのは内容より先に重要視されているように思う。特にスマホの記事を読み慣れた人にとっては、長い文章が細かい字で、ましてや二段組三段組構成の本なんて最初のページをめくった瞬間にこりゃアカンと読んでもらえないだろう。

 

ホモ・サピエンスはアメリカに渡る前、北シベリアの極端な北極圏に耐える術を学び、アメリカ大陸に行ってからは鬱蒼とした森や、ミシシッピ川デルタ地帯の湿地、メキシコの砂漠、中央アメリカのうだるようなジャングルに住み着いた。

 

この間、1000年から2000年程度。事実上同じ遺伝子を使いながら、これほど短い間に、これほど多種多様な根本的に異なる生息環境に進出した生物はかつてないらしい。

 

ホモ・サピエンスはどうやって今日の地位を築いたのか。それはホモ・サピエンスが直接的に接触を持たない人々と組織を作ることができたからだと述べられる。

 

直接接触を持って作ることができる組織規模の最大値は150人であるそうだ。SNSでの友達の数なんかを確認すると、なるほどそんなもんかもねと納得できる。それを乗り越えたのはホモ・サピエンスが虚構を信じる力を持っていたからだという。

 

『人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話』ご大層な言い回しだが、これは宗教だけを指すのでなく、企業活動、貨幣価値社会、司法制度、人間の営む社会の中のさまざまな単位やルールを指す。

 

それらを互いが信じていることが前提となって、人間は社会を組織として回していける。海の中のイワシとか、サバンナのバイソンとか南極のペンギンの群れとかはどうなんだろうとか若干いらんこと思ったが、あれは離れたところにいる群とは共通した認識持っていないってことかしら。

 

『共通した神話』を信じる大勢の人がいたから人は現在のような生態になったのか、大勢の人を取りまとめるために『共通した神話』が必要だったのかどっちが先なのかね。

 

とはいえ『共通した神話』とやらは必ずしもヒトを幸せには導かず(そもそも幸せについて考えるなんてことを他の動物がするのか疑問だが)、戦争したり、虐殺したり、差別したりされたりする社会を作った。

 

ただそんな中で今のところ希望としたいのは、『緊張と対立、解決不能のジレンマ、「認知的不協和」は人間の心の欠陥と考えられることが多いが、実は必須の長所である。思考や概念や価値観の不協和音が起こると、私たちは考え、再評価し、批判することを余儀なくされる。調和ばかりでははっとさせられることがない。』というところか。

 

考え方が違う人と出会ったり、こんな酷いことある?!って現実に直面した時、既存のものを再検討し、調整し、いい塩梅に持っていこうとする能力があると。それが正しい方向かはともかく、変わっていく能力があるのだということは信じたい。

 

作中には様々な人間社会の『神話』が出てくる。戦争、奴隷制度、家父長制、男女間格差、貨幣社会。何故そうなったのか理解できるもの、理解に苦しむものそれぞれである。

 

しかしホモ・サピエンスとして生まれてしまい、人間はどこから来てどこにいくのだろうとか考える性分を持ってしまったからには、あるもののなかで考えて、より良くやっていくしかないわよねえと思うばかりなのである。

 

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