プリズンホテル1夏

最近もヤクザの人々がタピオカブームに乗っているというネット記事を読んだ。その筋の人というのは本当になんでもやるなあ。今野敏の任侠シリーズしかり、サカナとヤクザしかり、なんの仕事をしても違和感がない。

本作ではヤクザたちはホテルマンである。人気極道小説家である木戸孝之介はヤクザの叔父が経営するリゾートホテルに招待される。プリズンホテルと恐れながら揶揄されるこのホテルは、働き手はヤクザ、主な客もヤクザの極道ホテルだった。

浅田次郎は重厚で本格派で硬いイメージだったのだけど、初期にはこんなコミカルな物を書いていたのだな。任侠コメディは達者な作家が書くと、とても面白い。その達者な筆力でもって、もともとこの世を究極にデフォルメしたようなヤクザの世界を、いいところを2倍増しにして描くことで、人情話をクサくない感じで読ませてくれる。

しかし浅田次郎センセーはヌルくない。本作ではヤクザよりも小説家の木戸が本当に嫌なヤツで、いい若い男がプライドばっかり高くて、女、年寄りを平気で殴る。引くわー。何このドメスティックなバイオレンス男。

しかも、アンタ性癖が特殊なんだよ!笑。なんだよ、その小芝居仕立て。好きな女の昔のヤクザの男になりきる演技をしながら◯◯って、どんな種類の変態なのか。

ホテルにはヤクザの以外にも様々な人間がやってくる。大手商社を退職した夫とその妻。妻は横暴で傍若無人な夫に対して密かな決意を胸にして。一家心中をしようとしている家族は最後の思い出作りのために。木戸にしても幼い頃に母親に捨てられたという思いから、人を試さずにいられない歪んだ自意識の持ち主だった。

世の中のダークサイドに属する人間たちが営むホテルだからこそ、それぞれの人間の抱えた事情を受け入れることができる。ファンタジー的リアリティなどと矛盾したことを言いたくなるストーリーには厳しさと可笑しさ、優しさがある。

木戸の叔父がホテルを経営することになった理由。ホテルで働くことになる正直者のホテルマンに叔父が言う「善悪と大小は別」という言葉。

そしてパンツ製造をしていた父親をバカにする木戸に対して、叔父が「パンツにまみれて何が悪い。お前だって原稿にまみれて血ヘド吐いて死んでいくんだ」と言う言葉に、いや、人間全部が血ヘド吐いて死んでいくわけじゃないけどなとツッコミながらも、不器用に一生懸命生きる人間に対する暖かな視線にウッカリ感動してしまう。

反社会的勢力はもちろん認めるわけにはいかないが、ダイバーシティとか言って多様性を云々言うのだったら、これくらいのなんでも受け入れる度量が必要なのではないかと、つい思ってしまう人情極道ファンタジーなのであった。

 

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