一度きりの大泉の話

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苦痛から逃れるために自分なりのやり方を何とか覚えたにも関わらず、無関係の他人にそれをやいやい言われ、説明するために苦痛だったことを思い出して本まで書かざるを得なかったとは。なんとお気の毒に。しかし、この絞り出されるように作られた本に対して、勝手ながら私は少しホッとした。

 

萩尾望都ほどの天才といえども人と本意でない摩擦が起こることがあり、摩擦によって心身が不安定になることがあり、いらぬ摩擦を生まないために自分の手段を制限したり、交流を断って感情に蓋をしてやり過ごすことがあるのだ。そりゃ自分程度のものが多少の人間関係の摩擦で考えこんだりするのは仕方ないわ。

 

実際のところ、天才だからこそ起きる摩擦と苦悩を私は知らない。創作物で時々用いられるテーマである。天才であるが故の孤独、理解されない苦しみ。

 

現実には天才は天才を発揮できる世界に多くの関心を持ち能力を使うため、それにまつわる瑣末な人間関係に思い悩むようなことはないのではと思っていた。むしろ人が人間関係に振り分けるようなエネルギーやその他をまるまる創作に振り分けているからこそ優れた作品が作れるのだろうと。

 

しかし、どんなにその道に秀でていても外から感情が見えづらくても、人間は鉄で出来ているわけではない。というか鉄だって繰り返し衝撃を受けたり水を浴びせ続ければ折れたり錆びたりして状態が変わる。ましてや人間は辛いことがあれば傷つくのである。当たり前のことだ。他人の思考について理解できなくても感情に対して鈍感になって良いはずはない。

 

モノを作る人の頭の中を覗かせてもらったような気持ちになった。萩尾望都はリアリストで、かつ天然な人であるらしい。

 

「トーマの心臓」を描くにあたり役に立ったのはドイツの年間降雨量と月ごとの平均気温、樹木分布図、日の出と日没の時間の資料だったと言う話が興味深かった。住んだことのない土地のイメージを肌感覚で知るためにドイツの詩人の詩を読んだとも述べられている。

 

どの季節のどの気候で物語は進行するのか。背の高い木、低い木で景色はどう変わるのか。日照量の変化は人にどんな印象の変化をもたらすのか。インターネットのない時代に苦労して集めたのであろう資料は、現実的な舞台装置として感情表現に説得力を生み物語に深みを持たせる。確かにあの漫画からはその場所の匂いや気配がする。

 

その一方でアンケート順位を上げないと連載の継続が難しいと友人に相談し華やかな花を描くべきよ!とアドバイスされて描いた花が空木という天然なところに笑ってしまった。萩尾先生、空木は地味です笑。素敵な花ですけども。

 

この問題の原因は排他的な独占欲ではないかと述べる萩尾望都。心身が傷ついてもあくまでも視点は客観的である。嫉妬という感情をわからないと言う萩尾望都。そのこと自体が人の嫉妬や嫉みを招くのだろうが勉強して身につくものでもなし。わからないものは仕方ない。

 

選んでそうあるのではなく、誰もがそうであるように自分の在るように生きているだけなのに、なぜ周囲に影響を与えたと言われ責められなければならないのか。

 

身体の不調があってやっと心の不調に気がつくタイプの方のようだ。何卒心身を大切にしてほしい。摩擦が起きた時に自分が悪いのかもしれないと思っても、自分が自分で在ることを責めなくても良いはずだ。自己防衛としての忘却の何が悪いのか。忘れて仕舞って、ご自分の描きたいものを描いてください。

 

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