孫と私のケッタイな年賀状

生きていると、大体の人には大なり小なり季節ならではのイベントというものがあるだろう。お正月、衣替え、夏休み、お盆、お彼岸、クリスマス、大掃除、年越し。

自分がイベントに乗るかはともかく、街中に溢れる雰囲気を感じ、人々が準備にいそしむさまを見て季節を感じることには、誰しも心当たりがあるのではないだろうか。

 

佐藤愛子さんのご友人の方々においては、彼女の年賀状を受け取ることは、だいぶ、どぎつい季節の便りだっただろう。

 

それは当時御年70歳台であった佐藤愛子さんが孫とともに特に正月感のない(年によっては明確に正月にそぐわない)コスプレをした姿が印刷されたものである。

 

正月早々、なかなかのご高齢の女性がさらし首に扮した写真が印刷された年賀状が届くって、どんな種類のテロ?

 

作品が描かれている当時、佐藤家において師走は年賀状のための写真撮影にやっきになる季節だったようである。年末が近づくと愛子さんの娘はあちこちで紛争用の衣装をみつけ、母親に購入するかを確認する。

 

愛子さんは写真を撮る際のストーリー作りに奮闘し、実際の撮影時には、恥を捨てろ!こだわりを強く持て!!と言わんばかりに、ガラスの仮面の月影先生も真っ青の演技指導を繰り出し、その真剣さは衣装係にカメラマンを兼ねる娘や、共演を強制される孫を唖然とさせるものであった。

 

人間はふざける時は全力でふざけなければならない。真剣にやらなければ、ふざけはただのふざけで終わってしまう。

 

いや、真剣にやっても、ふざけはふざけなのだが、しかし続けていくとそこはかとなく熟練されていくから不思議なもので、本の最初の頃の章に比べて後半は明らかに写真の完成度が高まっている。

 

これは愛子さんが真剣に性根を入れてふざけた結果である。努力の結果が、友人知人のお正月に一服の恐怖や苦笑いや呆れ顔をもたらしたことだったとしても、その価値は高い。少なくとも私は声を出して笑った。

 

気が強くて、えばりんぼうで、プロ意識(なんの?)の高いおばあさん。振り回されているうちに、いつしか進んで衣装を探しだしたりする流されやすい娘さん。いつでもマイペースで何事にもあまり動じないが、祖母と母がするわけのわからないことに基本的には協力的な孫。

 

これはこの面白い家族が、年に一度、本気の大人遊びをする(もしくは強制的に巻き込まれる)素晴らしい季節の風物詩の記録なのである。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です