恥辱

ふーむ、ノーベル文学賞ってこういう本がとるのか。文章的には難しくないが、多様な価値観を持つことの難しさが問われる本だ。自分自身の持つ醜さ。命と向き合うことの残酷さ。生きていく覚悟。直視するのはなかなか厳しい。

52歳の大学教授、デヴィッド・ラウリーは2度の離婚を経験後、娼婦や手近や女性で自分の欲望をうまく処理してきた。だが、軽い気持ちから関係を持った女生徒に告発され、人生が暗転する。

ラウリーおじさん、それは明らかにセクハラですよ。ロマンティックで情熱的なこと言ってるけども。

南アフリカのインテリ層で、自分をうまくコントロール出来てると思ってたラウリーおじさん。あるとき、思いがけなく、若くて美しい女生徒メラニーに魅了される。それストーキングじゃありませんかね、という手段まで用いて、メラニーを強引に自分のものにする。しかし、彼女は、彼を告発し大学を追われることになる。

職を失ったラウリーは田舎で百姓を志す娘の家に転がり込む。娘やその仲間たちの仕事や生活を馬鹿にしたり下に見たり。何様だよ、と思いながら読み進めるうちに、娘の家に強盗が入り、娘もラウリーも酷い目に遭う。

前半はラウニーが力を持ち、人に被害を及ぼす立場。中盤以降は、力をなくしたラウニーが人から被害を及ぼされる立場。アパルトヘイト撤廃後の、南アフリカの特有の事情を下敷きに話は進む。

強盗に遭った後、暴力が残す人への傷跡。肉体的な傷が癒えても、心に残る傷は簡単に癒えない。しかも、その暴力は繰り返される可能性がある。
その場所で生きていくために、選択しなければいけない道は、彼女が望んで選ぶ道ではない。それでも、その場所で生きていくと決めた娘さんにとっては、必要なことなのだ。

動物愛護家の仕事を手伝ううちに芽生える、動物たちの命への捉え方。祝いのご馳走として仕入れらた羊たち。安楽死を求めて愛護施設に持ち込まれる犬たちの命。

正しいと思っていたものは何だったのか、ラウニーは否応なく価値観の変換を求めらる。仕事。老い。性。女性。暴力。動物愛護。淡々とつづられる文章は、人間の生き方を浮き彫りにする。

多様な生き方を許容する。よく簡単に言われることだが、それには多大な犠牲と強い覚悟と受け入れる勇気が必要なのだ。

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