東京會舘とわたし 上・下

 

よく建物は人がいなくなると急に傷むと言われる。その意味では東京會舘は長い時間をかけて多くの人の営みが詰まっている。いくら時間が経っても、二度の建て替えを経たとはいえ、古びることはないだろう。

「人の心が重なるのは雨に似ている」

 

田舎にひっこみ、目指す作家への道が閉ざされ置いてきぼりをくらったような気がしていた青年。東京會舘で行われたクライスラーの演奏会で強く感動し、居合わせた人々とともに感動の渦が個人を超えて大きく膨れ上がるさまを体感して、人の心が動いた瞬間が重なることの喜びを、雨に例えている。

 

雨が降り一粒の水が集まり流れができるように、人間の感情や歴史は確かな流れとなり続いていく。川の流れが止まないように、東京會舘で志を持って働く人、その場を心待ちにする客がいる限り流れは止むことはない。

 

それは戦時中であっても、二度の大震災が起こっても、客にとっても働く人々にとっても、心の拠り所になる。

 

客にとっては接待で利用したり、結婚式をしたり、花嫁修行をしたり、お土産をもらうのを心待ちにする場所であったり、もういなくなってしまった人をしのぶ場になったりする。

 

働く人にとっては、高い理想を追求できる場所であったり、気の合わないと思っていた同僚と心を通わせたり、戦中戦後の厳しい時代に働く喜びを見つける場であったりしてきた。

 

東京會舘は本物なのである。それは名物料理のある有名レストランがあるからでも、芥川・直木賞の授賞式が行われるからでも、戦争と2度の震災を乗り越えたからでもない。

 

ここで働く人々が高いプロ意識を持って、どんなときも客のために築いてきた歴史があるから本物なのだ。

 

東京會舘の料理教室に通って本格的な料理を学び、マナー教室で人と心地よく食事をする方法を学んでみたい。

 

越路吹雪のサントワマミーを聴いた後、會舘フィズで余韻を味わいたい。

 

會舘を通して長く分かり合えなかった親の思いを知る小説家の話にあたたかい涙が出る。

 

正統派が確固としてそこにあることは人を安心させる。厳しい時期があったとしても、しっかりと歩んでいけば未来には確かな存在になれると信じたいのだ。

 

本当の正統派は驕らず偉ぶることなく、人を見守る暖かい視点を持って確かにそこに存在する。私も客になってこの本物に触れてみたいと強く思った。

 

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