死に山

第二次大戦後のソ連。スターリンの死後、抑圧が弱まり、若者らしく詩を読んだり歌を歌ったり山に登ったりすることを愛した大学生たちは、若者らしい冒険心と将来のための登山の資格取得のため冬のウラル山脈を目指した。そこで恐ろしいものが待ち受けているとも知らずに。

下山の予定日を過ぎても、怪我で途中で山を降りた一人以外、彼らは誰も戻らなかった。やがて捜索で彼らは発見される。雪山だとは思えない薄着で靴も履かず、あるものの服はボロボロになり、あるものは舌が無くなっていた。テントにはナイフで切った様な穴が開いていた。極め付けに遺体からは通常よりも強い放射線が検出された。

彼らに何が起こったのか。この本は実際に旧ソ連で起き、長く謎とされていたディアトロフ峠事件を、アメリカのドキュメンタリー映画監督が現地まで赴き、真相を追求した記録である。

なんせタイトルが「死に山」。ジャケ読みならぬタイトル読み。「死の山」とか「呪われた山」とかでなく、このタイトルをつけたところが不謹慎ながら引きが上手い。

地元の民族の犯行。雪崩や強風による自然災害。謎の武装集団によるもの。兵器実験に巻き込まれた。重要な国家機密を知ってしまった。果てはエイリアンの仕業説まで。オカルトから陰謀説まで数限りない説がとなえられたが、ソ連の秘密主義も手伝い、長い間事件の真相は謎に包まれたままだった。

ゴルバチョフによるグラスノスチ(情報公開)により、事件の資料が公開されるに至り、ようやく客観的な考察が可能になったこの事件を、現地まで赴いて調べたのがフロリダ生まれの米国人というのもなんとも言えない因果を感じる。

そんなところで生まれた人には、さぞ寒かったでしょうねえ。この著者、子どもが生まれたばかりなのに、貯金を使い果たしてこの取材を行なっている。奥さんの苦労を思うと察するに余りあるわとか、資本主義と社会主義の人間の違いがこんなところにもあらわれるのかしらねと脱線したことを思いながら読み進める。

作中、事件に巻き込まれた大学生たちの準備の様子を綴った日記、写真などが多数記載されている。冷戦時代のソ連の大学生たちの意外なほどの明るさ、男性女性が思いのほか平等な様子が印象的だ。勝手な印象でもっとみんな鬱々としているのかと思ったし、女性の立ち位置はもっと低いと思っていた。

しかし冬のウラル山脈にあえて登ろうとする辺り、やはり彼の国の人々は老若男女問わずどうかしている人が多いのだなとこれまた勝手に決めつける。だってどうかしてるよ!マイナス30度だよ。なんでわざわざ山行って苦労するんだよ。

私がこの世で人間がする事で、わからないことの1つが山登りであるわけなのだが、その中でもさらに、なぜあえて冬にそんなハードな山に行かなきゃならんのかとますます理解に苦しむのである。しかしながら、そんなことを考えるのが年寄りなのかと思ってしまうほど、作中に出てくる彼らの写真や日記は若者らしいユーモアや笑いに溢れ楽しそうだ。

綺麗な花とか咲いてなさそうだし、可愛い雪うさぎとかペンギンとかもいなそうだなあ、何しにいくんだろう、冒険か~とか思いつつ。で、現代の科学で分析するに結局どうだったのさ!と読み進める。

なるほどねえ。作中で語られる真相が正しいとすれば、確かにタイトルは「死に山」だわ。真相にタイトルはほどのインパクトを感じないのは私が街で暮らしていて現実感を持てないからか。しかし、そうは言いつつ、いくつかの気づきはあった。

政治思想が違っても国が抑圧されていなければ若者はどこの国でも元気。そして、世の中には信じられないくらい間の悪いことがある。それはある意味、大国の国家機密に巻き込まれることより、宇宙人にさらわれるより恐ろしい。やはり私は絶対に山なんて登らないぞ!

余談だが、本書は日本十進分類法によるとスポーツ、体育。。いや確かに登山は戸外レクリエーションだが、しかし、う~ん。本の分類って微妙だ。

 

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