談志楽屋噺

 

渋谷のパルコのライブショーで、始まったと思ったら、『今日はお前らに覚醒剤の打ち方とセンズリのかきかた教えてやる』。おっかないじじいである。

 

立川談志と言えば、いっつも仏頂面で、なにかあると客に喧嘩売って帰っちゃったり。弟子から授業料だってお金とったり。天才肌で恐ろしくうまい噺家というイメージ。もちろん、実際の高座を見たことはない。

 

本書の写真を見ると、若い頃は意外とよく笑っている。しかもなんだかとても嬉しそうだ。それほど惚れた師匠や仲間たちだったのか。

 

戦後の芸事の世界の破天荒さは、現代ではとても想像できない。酒とバクチと女の仰天エピソードのオンパレード。

 

柳亭小痴楽(春風亭梅橋)は談志の家に来て、ビール大瓶2ダース飲んだ。「ビールは俺にとって薬だよ。健康保険で売らないかねェ。」

 

「笑点」の地方公演では楽屋でいつもバクチ。出番が来ても、「今、ツイてるから、出られねえ。誰か代演に行ってくれ」「楽屋から代演送るやつがあるか」と大笑い。

 

小痴楽と金遊(後の小円遊)は『或る日、飲み屋で飲んでるやつをお旦(スポンサー)にしたあげく、お旦の家までついていっちゃった。そしたら、なんとお弔い。

 

聞いたら、女房に死なれてやりきれなくて悲しくて飲み屋で独り飲んでいたという。それを二人は取り巻いちゃった。行ったら通夜の客がみんな帰って、子供が二人位牌のショボンと涙ぐんでいる。

 

仕方なく香典千円おいて帰ってきたって。』おかしみと哀しみの入り混じった良い話。ツッコミどころしかないけど。

 

『芸人、非常識だからいいんで、そんなに常識的な奴の話が聞きたきゃあ、教会へでもいって牧師の話か学校の先生の能書きでも聞いてろ・・・』だそうです。言われてみれば、おっしゃる通り。これといったところのない善人の、とりとめのない日常に特に興味はひかれない。

 

戦後の皆が飢えて貧乏だった時代。『貧乏人に与えられたのは知性しかない』談志は言う。かつえた人間たちは、より高みを目指して、進化する。その進みは犠牲をともない、若くして酒浸りになって野垂れ死んだり、自殺したりした仲間たちのことが多く語られる。

 

談志の頭の中には大量の人が住んでいた。月並みなセリフだが、人は人に忘れられた時に2度目の死を迎えるというのなら、談志が生きてる間は、若くして死んだ噺家たちはまだ2度目の死は迎えていなかった。

 

本書は半端じゃなく、話題があっちこっちに飛びかう。あの人の話をしようと思って、この人の話をしているうちに、別の人に飛び火して、それがまた派生して別の人になり。なかなか本題にはたどり着かない。

 

噺家、手品師、漫才師、コメディアン、講釈師。人が、もろもろもろもろ出てきて知らない人ばっかりだし、別にいちいち、ちゃんと覚えちゃいないんだけど、積み重なるように心に残っていく。

 

『芸というものは質が量を呼ぶんじゃなくて、量が質を生かしておくものなのだ。』人口の減っていく芸の世界を、談志は憂いていた。それでも、最近また落語はブームになっているし、神田松之丞など人気の若手講談師なんかも出てきて、その世界は盛り上がりを見せている。

 

なんだか大丈夫そうですよ、談志さん。でもやっぱり師匠の時代の破天荒ぶりには、とうていかなわなそうです。凄いワネェー。

 

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