黒き荒野の果て

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時代は変わったなと思ったのである。
避けられぬこととはいえ悪事に手を染めた登場人物は最後には命を落とし、それが物語のカタストロフィと共に締めの役割を果たす。私にとって少し前の正統派の物語のお約束とはそうしたものだった。

 

主人公がいくら天才でも、強くても、美しくても、実は優しい面を持っていても許されないことは許されない。最後に帳尻あわせのように訪れる死によってのみ、やっと罪は贖われ物語は終わりを迎えることができるのだ。そうでなければ喪われた者たちが報われないし、主人公を死によって英雄化するような役割もあったのではないだろうか。

 

この本、基本設定は非常にクラシックである。そのせいでしばらく読むのを躊躇していた。手垢がつきすぎた設定で次を読まなくてもわかってしまうような話だったらしょんぼりだなと思っていたのである。しかし、よく考えれば今どきそんな話で売れる本になるわけはないのだ。

 

若い頃、裏社会で仕事をしていたが足を洗い、現在は昔の杵柄を生かした自動車整備工場を営むボーレガード。経営がうまくいかなくなり、子どもたちや年老いた母親の介護費用には日々出費がかさむ。工場を手放すことを考えなくてはいけなくなりいよいよ切羽詰まった彼は、悪い仲間の誘いに乗り再び裏の仕事に手を染めることにする。

 

100回繰り返されてきたストーリーだ。足を洗ったアンダーグラウンドの世界に舞い戻り、裏切りや想定外の出来事で予想通り苦境に追い込まれる。そして新しい罪は遠い昔に置いてきたつもりだった凶暴な自分自身をも呼び起こしてくるのである。

 

「ろくでもない呪いだ。これは」「金で治るものじゃないし、愛で鎮まるものでもない。体の深いところに押しやっても、内側から腐ってくる。」

 

いくら自らに言い訳しても、冷静でいようとしても、いざ事に及ぶとスリルと興奮を悦ぶ自分を実感する。悪事を働き能力を発揮することを喜ぶ自分と平和に生きて家庭を大切にする自分、どちらが本当の自分なのか。

 

悪いことでなきゃねぇ。別に仕事と家庭で二面的なキャラクター持ってたって良いのでしょうけども。どう見ても破滅に向かうボーレガードが行き着いた終着点は昔の物語のお約束とは少し違っていた。

 

悪に惹かれる本能を根っこに持つ人間がそんな自分を変えられないから死んでそれを償うよりも、生きながら変わろうとする努力を続けていく方が実際はしんどいことになるだろう。しかし現実はそちらの方に近いのではないか。

 

家族や自分の性(サガ)という軛から死んで自由になるのではなく、それを持ったまま生きてゆく。ダメだったから手放して終わるのではなくダメなまま抱えていく覚悟を持つ。そんな生き方ができるなら今度こそ彼は自分が欲しいものを手に入れられるのかもしれない。

 

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