1995年

2018年7月6日、オウム真理教の松本智津夫死刑囚と教団幹部ら7人の死刑が執行された。

地下鉄サリン事件は、当時高校生で、特にニュースに強い関心を持っていなかった不勉強な自分からしても、非常に印象の強いものだった。

それに続くメディアの狂乱も含め、何か特別なことが起きているというのは体感として覚えている。

地下鉄サリン事件が起きた1995年は、阪神淡路大震災が起きた年でもある。あの高速道路が横倒しになり、街が火に包まれている映像は、非常にショッキングだった。

自分と同世代の人間が、戦後すぐの焼け野原のようになってしまった街で被災をしたということに、安全は誰にとっても永久に約束されたものではないということを、映像を伴って初めて思い知った。

この二大事件が起きたことから、1995年は「日本戦後史の転換期となった年」とされている。

本書は地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災に特化するのではなく、吉崎達彦の「1985年」をまねて、政治、経済、国際情勢、テクノロジー、消費、文化、事件・メディアといったあらゆる側面から、転換期とされている年を輪切りにして、再検証しようと試みたものである。

小選挙区制の導入。失われた20年の始まり。アジアの台頭と村山談話のつながり。

焼酎VSスコッチ戦争による、焼酎の税率引き上げに伴う、高級焼酎の台頭。

Windows95発売の熱狂。インターネット時代の始まり。アップルの今では想像もできないほどの迷走。

青島幸男の都市博中止と、踊る大捜査線の関係。「新世紀エヴァンゲリオン」の初放送。

今年引退をした小室哲哉と、まもなく引退を予定している安室奈美恵の最盛期の様子。

阪神大震災においての、ボランティア元年、危機管理システムの欠如。

マスコミの震災への興味を失う速さ。社会の中枢にまで潜入し、日本社会VSオウム真理教の全面戦争の様相を呈していた当時の状況。

「(物事を)縦に読むのとは違い、新鮮な景色が見えるであろうし、意外な発見があるかもしれない。最低でもいささかの回顧趣味を満足させることはできるだろう」

そう述べる「1985年」の著者、吉崎達彦の弁に倣って、本書の著者も、自分も回顧趣味くらいは、、と冒頭で予防線を張っている。

なるほど懐古趣味は満足させられたし、当時学生だったため知らなかった事実も結構あり、興味深く読了。

しかしながら、それ以上に目を見張るような再発見があったかというと、やはりなかなか難しかったかな。

 

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