国宝 上・下

本を読むとき、レビューを書くために気になったエピソードやキーワードをメモしながら読むことが多い。この本は上巻の最初こそ少しメモを取ったが、下巻からはまったくそんなことをする気にならなかった。

 

それほど物語に没頭したかった。
我に返ったり、状況を分析したり、要したくなかった。物語を丸呑みすることに読む力のすべてを使いたかったのだ。

 

登場人物たちの才能と魅力に惹きつけられて目が離せなくなった。天才というものはそれほど人を惹きつける。

 

歌舞伎役者というものは人を惹きつけ、依怙贔屓されるようでナンボというのは作中の記述。家族に贔屓され、友に贔屓され、師匠に贔屓され、女に贔屓され、客に贔屓され、果ては悪魔にも贔屓されてしまった歌舞伎役者の話。

 

これは今の時代には生まれづらそうな天才の話だ。小学校の徒競走では並んでゴールさせられ、おかわり自由の定食屋でお代わりしない人間が不公平だとクレームを入れお代わりが有料になる昨今、依怙贔屓したくなる魅力を持つ役者は育つのだろうか。

 

ましてや主人公の立花喜久雄は九州のヤクザの跡取り息子。ボンボンで周囲に大切に育てられどこか浮世離れした性格に育った。ますます現代にはいなそうだが、その浮世離れは彼の魅力を増す。

 

しかし依怙贔屓したくなるほどの才能は、贔屓される方に大きなリスクをもたらす。常に大衆の関心に晒され、能力を磨くほど周囲とは感覚が離れ独りになっていく。

 

誰にも理解、共感されない孤独。歌舞伎役者にとって家族はビジネスパートナーであり同士であり戦友であるようだ。その家族にすら手の届かない高みに達してしまい、そこから降りることが恐ろしくなってしまった者は一体どこにたどり着くのか。

 

何かの呪いにかかっているようだ。彼が何かを手に入れるたびに彼の周りは喪われていく。若き日に言われたあなたはその綺麗な顔のせいで大変な目に遭うかもしれないよという言葉が眠り姫に魔女がかけた呪いのようだと思った。

 

彼自身は周囲を損なうことを望んでいるわけではないのに、歌舞伎が上手くなりたかったために他には何もいらないと望んだ青年は望みのものを手に入れて多くを失っていく。自分自身すらも。しかし喪われたものは彼の地肉になり、その芸をより高みに連れていく。

 

以前に歌舞伎役者の一家に大怪我をした人間が出た時に、父親である歌舞伎役者やまだ幼い息子までが驚き悲しみながらも、どこかで悲劇を俯瞰で観察するようであったとして、芸人の業を感じるというインタビューを見た。芸の世界の業の深さに戦慄を覚えた。この人たちはいったい何なのだろう。

 

九州に名を馳せた任侠一家の息子であった喜久雄。ヤクザの抗争により父を失った喜久雄は、抗争の最中にこの世の究極のような景色を見る。この景色もまた彼の呪いのひとつになる。

 

最大の後ろ盾であった父親を失った喜久雄は歌舞伎役者の家に預けられ歌舞伎の道を目指すことになる。この家には喜久雄と同い年の少年がおり、終生の友となる。

 

天才がめきめきと頭角を現していく様は読んでいて激しく胸が踊り、彼のスキャンダルや波乱、悲劇には心が乱される。周囲の人々も魅力に溢れ、歌舞伎という世界でそれぞれの仕事をまっとうするために懸命に生きる姿に胸が熱くなる。

 

師である花井半ニ郎の生き様に目を奪われ、歌舞伎役者の妻たちの覚悟に愛を超えた愛というものがあるのを感じ、終生の友であった徳次と俊介にあなたたちがずっとそばにいてくれたら喜久雄は違う結末を迎えただろうかと惑う。いや多分変えられないのだろう。世の中にはそういう風にしかならないことがあるのだ。

 

何を綴っても無粋になる気がしてなかなかレビューを書く手が進まなかった。歌舞伎という世界を文章でこれほど表現した吉田修一は評判通りすごい作家だった。

 

天才の孤独は深い哀しみをたたえながらも、強い艶やかさを演出している。こんなに絢爛豪華で極彩色のような小説はなかなか読まない。悲劇に感傷的に寄り過ぎることなく、古き良き時代を懐かしむわけでもない。

 

あの世とこの世を混ぜるかのような喜久雄の芸。もののけ姫のシシガミのように一歩歩くごとに彼の周りの世界は色が変わる。ラストシーンでは文章にも関わらず極彩色の艶やかさの極致が見えた。確かに見えたのだ。これはすごい小説だ。

 

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