面白かったなあ。ぼーっと読んでしまったが、ぼーっと読んだにもかかわらず、あれだけ主体が変わるのに理解しやすくて、現代にも通じていて興味深く、新訳とは言え古い小説であるのに全く違和感がなかった。やはり古典SFの名作であり20世紀の英文学を代表すると言われる評判は伊達じゃないのだ。これは買うかな。
SFの古典というのは難解であったり設定が特殊すぎて、ちょっと何言ってるかわからないですとなることも多く、やはり時間が経ったSFってのは「よっぽど」でないと陳腐化してしまうんだなと思うことが多かった。
「よっぽど」なこの本が面白くて読みやすいのは、現在の多くの作品に影響を与えたと言われる設定と構成の巧みさ。そして、どこか滑稽さをもって描かれる人間たちの悲喜劇を描いているのが理由だろうか。
人間は工場の中で培養、精製され、生まれた時から階級分けされる世界。睡眠学習で集団の一部分として生きることを刷り込まれ、個人の意思を持つことは不自然なこととされる。
精製段階で決められた能力に従い、あらかじめ決まった仕事を割り振られるため、職業上のストレスを感じることはない。
恋愛でも過剰なストレスを生じないように複数の相手とフリーセックスが良しとされ、特定の相手に執着すること、父母から生まれるという概念自体がふしだらなものとみなされる。
精神的な刺激が必要なときは、仮想の体験を伴う映画を観たり、音楽を聴いたりして必要な刺激を賄う。嫌なことがあったときはソーマという向精神薬を飲み気持ちを安定させる。
オルダス・ハクスリーが1932年に発表したこのディストピア小説は現在でもさまざまな作品に影響を与え、現代を予言したかのような内容である。五・一五事件の頃にこんな小説がねえ。今回読んだのは新訳なのでますます感じるのかもしれないが、まったく古さを感じない。
父母を持たない純粋培養された人間たちは、彼らの管理域外で生きる野人と邂逅する。野人は工場でなく母親による出産で生まれ、シェイクスピアをこよなく愛する天然育ちだった。
人工的なものでしか心を揺らすことがなくなった人間たちに対して、野蛮だと嘲笑われる野人は凶器のような天然の感情を持っていた。それは彼を深く傷つけるが野人はそれを手放すことを良しとしない。
『文明には、気高さや英雄らしさもまったく必要ないんだよ。そんなものは、政治的な失敗のあらわれだ。』確かに英雄が必要なのは乱世であることが多いだろうし、気高さが際立つのは周囲に品がないからだろう。
傷つく可能性をあらかじめ排除した世界を拒否する野人にムスタファ・モンドが言う。『不幸になる権利を要求しているんだね』私はどちらに立場に立って読んでいいのかわからなくなる。
どちらが良いのだろう。洗脳・純粋培養され、薬で苦痛をわからなくして、快楽にのみ生きるのと。過酷な環境に耐え、人間関係に悩み、苦痛を抱えながら自らの選んだやり方で生きるのと。
しかし90年近く昔に書かれたと思えないほど、この本の科学技術は現代を想像させるエピソードが多い。SFの作者というのは理系・文芸どちらの脳みそでこういうものを書くのかと、いつも何となくチェックしてしまうのだがハクスリーはサラブレッドだった。
祖父は有名な生物学者。父は文芸雑誌を担当する文人。兄は生物学者で評論家でユネスコの事務総長を務め、異母弟はノーベル生理学・医学賞を受賞している。オルダス・ハクスリー自体は小説により世に名前の知られている人であるが、きっと科学的なことを理解するのも難しくはなかったんだろう。
ある意味で誰よりも選ばれし遺伝子を持っていた気がするこの作家は、90年後の人間の悩みすら描くことが出来るのだ。彼の描く素晴らしくて恐ろしい新世界が証明されてしまったようで少しゾッとしたのだった。