私のアンテナに引っかかる韓国文学は女性が主役なものばかりだ。他のものがないわけはないだろうになぜなのか。そして私が読む韓国文学はだいたい女性が酷い目に遭う。「鯨」などはちょっと見る(読む)に耐えない感まであった。
実際のところそういった酷いことは歴史上あったのだろうと思うが、その辺をドラマティックに文章にされるとウヘェと思ってしまうのだ。無かったことにせず文章にするだけ女性の立場に立っていると言えなくもないかもしれないが、それにしてもなかなか正視するのはシンドイなオイとブツブツ言いたくなってしまう。
話は違うが本を買うときの基準として、傑作だったとしてもあまり後味の良くないものを選ばない。禍々しいものを家に持ち込みたくないからだ。漫画で言うと古谷実の「ヒミズ」などは非常に良いものだと思ったが家にあると何か良くない気がして手放した。本当に傑作なので時々読み返したくなるのだが。
上巻を読んだ限りでは私のイメージする韓国文学のドラマティックで女性が難儀する性質はそのままだが、重くなりすぎずに話が展開されしなやかな印象である。朝鮮の海沿いの町で母親とともに旅館を営む主人公。彼女が生まれるまでの家族の歴史も描かれ、ポッと出の人物でなく地域に脈々と生きてきた人間であることが証明される。年頃になった彼女がある男性と恋をすることから彼女の人生は流転していく。
基本的にあまり邪悪な人間は出てこない(あの人物のことを邪悪とするかどうかは別にして)。地に足がつき、与えられたものでしっかりと生きていく登場人物が多く、人間てやっぱりその方がいいわよネェと急なおばちゃん目線になってしまう。
主人公のことはよく努力し、ある状況と向き合い、自分の頭で考えて生きていこうとするところに非常に好感が持てる。これもまた共通しているのだが私の読む韓国文学に出てくる女性は働き者ばかりである。にもかかわらず…という報われなさがまた読むのを辛くさせる一因なのだが。
彼女に訪れる幸運、不運を握っているのは今のところすべてあの人物である。しかし人の掌の上でコントロールされる人生の小説というのはどうだろう。とりあえずは好印象であるこの本、初めて買って手元に置きたい韓国(朝鮮)を描いた本になるだろうか。タイトルの意味について考えている。下巻を読むのを待とう。