本シリーズを持って作家を引退することが発表されたドン・ウィンズロウの最新作。大好きな作家である。インターネットで引退のニュースを見てショックで声が出てしまった。翻訳は田口俊樹さん。最近のウィンズロウはこの人が多い。
原題は「City on Fire」。邦題は「業火の市」。「市」と書いて「まち」と読ませるんですね。「業火の市(し)」では確かに様にならないがそもそも「街」でなく「市」を選ぶということはと思いあらためて調べてみた。
City: (town より大きい)都市,都会,市,市長または市議会の行政下にある自治体(weblio英和和英辞書)とある。
街: 四方に通ずる道。大通り。また、その道に面した人家の群れ。
規模としてはそれなりに大きな都市を舞台にして、しかし都市というにはシステマタイズされていない人間たちの様子を表現する為に「まち」という読み方を選んだのかと読み終わった後に思う。これは愚かな人間たちの愚かさの始まりの物語だった。
ドン・ウィンズロウの小説の登場人物たちは家族を大切にし、そしてそれに縛られる。親子、兄弟、夫婦。
「教訓。汝を罠へ誘うものにしがみつくべからず。放すなら、早めに放すべし。叶うことなら、そもそも餌に食らいつくべからず。」愚か者が起こした火種は徐々に大きくなり誰もを逃げられない状況に追い込んでいく。アメリカ北東部でなんとか勢力を均衡させてバランスを取っていたアイルランド系とイタリア系のマフィア組織。
アイルランド系マフィアたちが暮らしていたのはドッグタウン。南北戦争の頃、食肉処理場から捨てられた内臓を求め、付近に野犬の群れがうろついたことが名前の由来だ。二十世紀になって入国してきたイタリア系マフィアと衝突するがそれぞれが移民の数を増やしお互いが手を結べはアメリカの市場を独占できるまでに成長した。
もとからいたアメリカ人に対抗するために彼らは子供を増やし、そのために生活に窮したとしてもそれをバネに金儲けに精を出した。足枷になりかねないものを原動力に変えたのだ。
その中にあって主人公のダニー・ライアンの立ち位置は中途半端だ。父親はアイルランド系マフィアの有力者だったが失脚し、母親は外の地域からたまたま訪れた人間だ。アイルランド系マフィアのドンの家族と親しく育つがファミリーのなかには入れてもらえず一線を引かれているが求められる責任は多い。
彼が愛するものを失っていくシリーズ一作目であると受け取った。人が持てるものには限りがあるから、多くのものをこれから手に入れるために失うことがスタートなのか。
「人間の魂は貸し借りできるもんじゃない。売るか買うか、そのどちらかしかない。」
「まちがって始まったことはまちがって終わる。」
何かを得れば何かを失う。およそ賢いとは思えない本作での選択の果てに彼が手に入れるものは何なのか。あいも変わらず魅力的なドン・ウィンズロウの筆致のリーダビリティに夢中になって一気に読んだ。続編を刮目して待つ。