ドロレス・クレイボーン

created by Rinker

おしゃべりな方のスティーヴン・キングで良かった作品はなんだろうね?という話になったのである。登場人物が捲し立てるような早口で喋っているのが想像できるキング特有の饒舌なタイプの作品である。

 

それなら「ドロレス・クレイボーン」ではないかという話になった。こんな話だったよねとあらすじを話していたのだが、あれ?これだいぶ面白いなと。読み直さねばと本棚から引っ張りだして、久しぶりに読んだ本は期待を裏切らず面白かった。

 

改めて読むと明らかなシスターフッドの話であった。シスターフッドとは1960年代から70年代にかけての女性解放運動でよく使われた言葉で、男性優位の社会を変えるため、階級や人種、性的嗜好を超えて女性同士が連帯することを表すものである。

 

この本に出てくる女性2人は基本的には雇用関係にある。恋愛関係にあるわけでもないし友人関係というのとも少し違っている。それどころかウンコ大戦争が巻き起こったりして(それにしてもあの件は最高だ笑)、むしろライバル関係にあると言ったほうが近い。しかし彼女たちはある一点において大きな共通点を持っていた。

 

シスターフッドの物語。私が思いつくのは映画「テルマ&ルイーズ」、桐野夏生の小説「OUT」とかであるが、前提条件として女性たちが酷い目に遭っている上で共闘するという物なので、ともすれば悲惨な様子に見る(読む)のが辛いことになる。そこでおしゃべりな方のキングが有効なのである。

 

私の好きなキングの小説はもちろんもれなく恐ろしいし悲しい話であるのだが、どこかにおかしみをはらんでいる。恐怖はある一定のラインを超えると滑稽な様相を帯びるということもあるが、本作については主人公ドロレス・クレイボーンがタフでエネルギッシュで非常に魅力的なのだ。

 

彼女の一人称で語られる物語は近所の愉快なおしゃべりおばちゃんの身の上話を聞くようであり、講談でも聞くようなハラハラドキドキもあり、事情聴取をしていた刑事たちすらも話に引き込まれて口を出す暇を与えられない。

 

身体の中の目の話が印象的だった。バカにされたままなのは我慢ならないというドロレス・クレイボーンに対して、若い頃はこの人は特別に強い女性なのだと思っていた。

 

しかし歳を重ねて思ったのは、人間にはどうやっても許せないことというのが確かにあって、そんな時に人間は身体の中に何か熱源を持つことがあるということだ。それを目と表現しているのだろう。

 

その熱源は自分を傷つけるかもしれないし、周囲を傷つけるかもしれない。出来ればそんなものを持たないまま生きていたいけれど、意思とは関係のないところで産まれるものだからどうしようもないのだ。

 

恐らくそれは自分の尊厳が侵害されているという強い憤怒から生じるものなのだろう。尊厳が侵された時に心の底から湧き上がる感情は彼女たちを結びつける。

 

「ときには性悪にならなければ、生きていけないことだってあるのよ。女というものは、ときには性悪になるしか、しかたがないときだってあるの」

 

この悲しい台詞の本当の意味がわかるのは終盤である。その展開に読者である私の背筋もドロレスとともに凍るような思いがした。タフネスなおばちゃんの一人語りで綴られる物語は、2人の孤独な戦士が束の間共闘した記録を見るようなものであったのだ。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です