子どもの頃に、人の名前なんてみんな記号でいいじゃないかと言って親に怒られたことがあった(ような気がする)。
おそらく名前や見た目などの個性があるから差別やいじめが生まれるのであって、違いを無くしてしまえば差別もなくなるのではという子どもながらの浅知恵であったように思う。
差別やいじめがなくなるかはわからないが、人間を無機物的に表現すると、その行為や感情が環境から独立したように思え、自己の存在証明が難しくなるような感覚に陥る。
本書の主な登場人物はブルー、ブラック、ホワイト、ブラウン。
探偵のブルーは、ある時、ホワイトにブラックという男を監視してほしいといういう依頼を受ける。その目的は不明。
監視を始めるがブラックは特に何処に行くでも誰に会うわけでもなく、家でずっと本を読むか書くかしている。
動かないブラックの監視を続けるうちに、ブルーは徐々に自分がブラックに同化しているような感覚を覚える。
「自分がブラックのことを身近に感じれば感じるほど、ブラックについて考える必要がなくなる。中略。相手と結びつくことではなく、相手と隔てることが拘束を生む。」
曖昧になる自己と他者の境目。自己の存在の不確実さ。結局、ブルーはブラックを破壊していずこか知らず出立する。
自分探ししてたら自分を見失っちゃって、何者かわからなくなった自分を壊しちゃったみたいな暗喩でもしている話なのかなと思いつつ読了。
80年代アメリカ文学の代表的作品である本作。ポール・オースターのその独特な技法は、簡潔でありながら深い意味が隠されていそうだが、明確な解は用意されていない。村上春樹と同じ箱の人だな。
浅はかな読者の私は、青少年ならともかく、自分探しなんてやりすぎるとろくなことがないという軽率な結論を得た。