少し前に話題になっていた怖い世界の名画について書かれた本である。見たことがあるものも初めて見たものもあったが、非常にわかりやすく面白く時代背景や作者、モデルのことが書かれているのでホーンなるほどねぇと普段そんなには美術館に行かない私でも楽しんで読める。
作者があまりに多方面に博識で造詣深いので何をしている人なのかと思ったら、作家でドイツ文学者で西洋文化史家で翻訳もしている人らしい。名だたる名画の確かな文化知識に基づいた作家の書いた解説か。そりゃ面白いわ。
しかし絵画に限らずホラー映画や小説しかり、なぜ人は怖い怖いと言いながらその手の創作物を見てしまうのか。人によってその理由は様々であろうが理由の一つは、人間の発見した最強にドラマティックである意味最も悪趣味なおもちゃが人間の恐怖心だからではないかと思うのだ。
人は怖がることによって感情が揺らされる。人間は自分のことにせよ他人のことにせよ、感情が揺れること自体を娯楽として楽しんでいる節がある。であるから、この中で一番怖いなと思う絵を選ぶと自分が一番感情を揺らされるものが炙り出せるのではないかと思うのだ。
私が一番この中で怖かったのは「受胎告知」と「ガニュメデスの誘拐」である。
聖母マリアの前に突如急ブレーキをかける勢いで現れる大天使ガブリエルはマリアに、アンタ「神の子」宿したよと告げる。心当たりもないのになんのこっちゃといぶかしむ彼女を脅したりすかしたりしてなんとかそのことを飲み込ませるガブリエルと、類稀な著者のセンス(笑)でゴキブリに例えられる大量の天使たち。若干の集合恐怖症を持つ私には、もはや天使たちがあの羽虫の集合体にしか見えなくなってくる。
なにそれ超怖い。突然現れて怖がらせて思い込みを押しつけて自分の言い分を押し通す。しかも集合羽虫の応援付きである。それはなんて種類の呪い?とでも言ってやりたい。
そしてコレッジョの「ガニュメデスの誘拐」もまた、好き♡と思ったら突っ走る真っ黒な大鷲に化けたゼウスが、スーパー美形の若年男子ガニュメデスをさらう様を描いたものである。
この絵で怖かったのがさらわれる若年男子ガニュメデス(赤ん坊から青年まで作者によって男子の描かれ方は異なる)がゼウスの大鷲にしがみついているかのように見えるところ。
それは振り落とされる恐怖からなのか、突如現れた大鷲をゼウスだ♡♡♡っつってすぐに喜んだ抱擁の意味なのか。。と言ってはみたもののそんな親愛の抱擁あるはずあるかー!!この、ゼウスに愛されたならその者も愛さないはずがないという決めつけが怖い。願望かよ!妄想かよ!!
神に愛されちゃったんだからそれは幸せでしょ。喜ばないはずがないというさらわれる側の意思など微塵も介しない様子が、誘拐してる最中から将来のストックホルム症候群でも想定してるんですか?とツッコミを入れたくなる恐ろしい思い込みである。
あげくゼウスの妻のヘラに嫉妬されて最終的に水瓶座にされてしまうガニュメデス可哀想にも程がある。死んだ後くらい自由にさせてやって。
それに比べたらルドンの「キュクロプス」なんて寝ている彼女をそっと眺めているだけなんだから(まだ、この時点ではだが、、)切ない片思いじゃないかと。一つ目で巨大だからって冷遇することないのにと庇ってやりたくなる。
しかし異形のものが人を好きになったり人に憧れたりするモチーフというのは昔からあるんだな。フランケンシュタインとか妖怪人間ベムとかシザーハンズとか。一気に話がカジュアルになったがそれはおいておくとして。
つまり私が怖がっているのは、自分の意思を無視されなきものとして人に思い込みを押しつけられ他の生き方を選べないことであるらしい。時代、文化、宗教的背景が違うのだしナンセンスなことを言ってるのは百も承知だが嫌なものは嫌だし、その思い込みにどうしてもおぞましさを感じるのである。
そう思うと「ホロフェルネスの首を斬るユーディト」のユーディトの表情なんかは自分で事態を打開してやるという強い意志を感じて嫌いではない。やってることは非常にアレなので絵的にはグロいのだけど。
神々をストーカー呼ばわりしてしまい怒られそうだが次に読む本が決まった。ストーカーのノンフィクションもののアレにしよう。
あなたが気持ちを揺らされてしまうものは何ですか?この怖くて面白い本を読むとわかるかもしれませんよ。