メキシコ版ゴッドファーザー。ドン・ウィンズロウは華麗に、劇的に、残酷に、そしてメキシコへの愛を込めてストーリーを紡ぐ。
前回読んだ際、あまりの衝撃にすぐにウィンズロウの大ファンになった。この粋でキザな文体はこの作家の持ち味なのかと思っていたが、他の作品をいくつか読んで、そうではないことに気がついた。
劇作家出身だというウィンズロウの書く文章は、別の作品を読んでもドラマティックだ。しかし、作品ごとにその雰囲気は少しずつ違う。
粋でキザな本書の文章は、ウィンズロウがメキシコという国を表現するために用いたものであるように思う。いい加減でありながら、情熱的で、妻や子を愛し、仕事としてのファミリーのしがらみに縛られる。
アート・ケラーはメキシコ人とアメリカ人のハーフ。どちらの国からも異端者だった。「YOYO 」ユーア・オン・ユア・オウン。自分の道は自分で拓け、をモットーに生きてきたケラー。しかし自ら切り開いた道は、彼を修羅の道へ誘う。
CIAにスカウトされ、米国への麻薬輸出を行うマフィア組織の殲滅を目的とし、メキシコのDEA(麻薬取締局)に赴くケラー。しかしメキシコは警察とマフィア組織との癒着、米国への敵対心からケラーを容易に受け入れなかった。
ある時ケラーは、警察でありシナロア州知事特別補佐官であるミゲル・アンヘル・バレーラを叔父(ティオ)に持つアダン、ラウル・バレーラ兄弟と出会う。マフィアのボスを逮捕するため、ティオと親交を持ったケラーだったが、ティオの真の目的はケラーをも利用して、ラテンアメリカの麻薬覇権を握ることだった。
本作の特徴の1つは若者たちの成長譚であるところだ。マフィア組織の親類として成り上がっていくバレーラ兄弟。美貌を足がかりに高級娼婦になるノーラ。アメリカで地元のギャングの殺し屋を殺してしまったことから、自らも殺し屋としての道を歩くことになるカラン。
成長譚は多くの危機を乗り越えていく彼らを次の世界へ導く。それは多大な富と絶望的な暴力に塗れた血塗られた世界だ。
ケラーを含めて一様に、彼らは自らが歩いてきた道を後悔しても、既に戻ることが出来ない。愛するパートナーを見つけ、子を成し守るものが出来て、血と暴力以外の道で生きていればと望んでも、もう戻るべき道などないのだ。
この物語のもう1つの側面は、米国のラテン・アメリカ共産化に対する根深い恐怖心が招く、メキシコの麻薬組織の強大化だ。
舞台は東西冷戦時、ロナルド・レーガンが大統領の頃。アメリカはメキシコを挟んで地続きのニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルがソ連の支援を受けた共産主義政府の手に落ちるのを恐れていた。
メキシコの麻薬組織がニカラグアの反政府組織の資金源になっているのを承知で、米国は副大統領直轄組織がそれを支援し、結果的に麻薬組織の強大化に協力し、合衆国での麻薬蔓延を招くことになる。
誇大妄想ではないのかと言いたくなる米国政府の恐怖心は、人々を飲み込み、血と金と権力闘争の大きな流れとなる。暴力の応酬に後悔して惑う人間の気持ちなど容易に飲み込み、逆流させることを許さない。
マフィアであるアダンからも、娼婦であるノーラからも、部下を惨殺され復讐に燃えるケラーからも尊敬を受ける司祭のパラーダはアダンに言う。
「生き方を変えなさいアダン」アダンは答える「遅すぎますよ」。
人を修羅にする逃れることのできない流れは彼らをどこに導くのか。下巻に続く。
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