やれやれ系男子の現代妖怪物語。この漫画を読み出してずいぶん経つなぁ。
怪奇幻想小説家だった祖父を持つ、主人公の飯島律は、幼い頃から、人には見えないものが見えた。
彼は茶道教室を営む母親、祖母、そして心筋梗塞で、一度は心臓が止まり、その後、息を吹き返した父親と暮らしている。
実は父親の身体には、祖父が護法神として使っていた妖魔が入っているため、死ぬ前の人格とは別人になっている。
ペンネームを飯島蝸牛といった律の祖父は、人ならぬものを見聞きし、妖魔たちとともに生きていた。
飯島の家の子供や孫たちは、祖父の血を引き、みな少しずつ霊力を持っている。
律はあまり表情が顔に出ない。幼い頃から妖魔に脅かされて育ったため、動揺するとつけ込まれることを知っているからだ。
しかし、母が茶道教室を営む家には人間も妖魔もいろいろなものが訪れるし、その庭には祖父の張った結界を持つ裏山がある。
立ち入る人間や妖魔たち、そして霊力があるばかりに、すぐに事件に巻き込まれる親族たちの騒動に巻き込まれ、律はいつも、自分は見えるだけで何もできないのに!と嘆きながら、やれやれと解決に乗り出す。
この、やれやれ感が、この漫画の魅力の1つであるように思う。彼は決して正義のヒーローではないし、ましてや、全てを上手く解決してくれる万能選手ではない。
頼りになるのかと思えば、割にポンコツで、すぐに怪我するし、妖魔には簡単に騙されるし、結局助けを求めてきた人を助けられないことだって多い。
起こる事件は、なかなか陰惨であることも多い。律も親族たちも、結構なひどい目に遭っているのだけど、彼にはどこか諦観しているような目線がある。
しかし、彼はぶうぶう文句を言いながら、困っている人たちを(時には困っている妖魔も)見捨てない。
昔ながらの人づきあいを大切にする、祖母や母の生き方。妖魔たちを、恐れるだけでない付き合い方を教えてくれた祖父。彼らのやり方が律の中にあるからだろうか。
本作には、それは、なかなかに難しいですねぇと、同情を禁じえない場面が、たくさん出てくる。
幼い頃から、身体に痛みを伴う大きな痣を持ち育った、律の従姉妹の司。複雑な家庭環境の中で、失踪する子供たち。交通事故に遭い、何年も寝たきりになってしまう母親。夫が愛人に子供を産ませて、いきなり失踪してしまう人妻。
重い。重いのだけれど。まあ、生きているとそんなひどい目にあうこともある。大体のきっかけは妖魔は関係ない。傷ついた人々の心の隙に、妖魔がつけこむことで、事態はますます暗転する。
長いこの作品の中で、いくつか印象に残っていることの1つが、虚ろな心は妖魔につけ込まれやすいというところだ。
傷ついて呆然と虚ろに生きていると、普通にしていれば巻き込まれない悪いことに、巻き込まれたりする。
本作ではそれは妖魔だが、妖魔でなくとも、人の心の隙には良くないものが入り込みがちだというのは真理だろう。
避けられない悲劇に遭って、なぜ自分ばかりがこんなに酷い目にと思っても、人の理を持ち、周囲の人との関わりを大切にしていくことで、落ち着いていくことはある。
飯島家の親族たちは、お互いをどこかで恐れているようなところがある。
それは自分が一番力弱い存在で、一番恐怖を抱えていると思っているから。自分と違うモノを見る親族を見ると、自分の見ているものに確信が持てなくなって恐ろしいのだ。けれどそれはきっと個性のようなものなんだよ。
自分にしか見えないモノを見て、怯える従姉妹の司に、そう律は言う。
妖魔が見えなくても、これは生きていく上で非常に重要な視点であるように思う。やれやれ、ひどい目にあったわい、と思いながらも出来事と向き合い、不器用でも、日々を丁寧に生きる。
自分はアタマの巡りが悪くて、いつも一度読んだだけだと、それぞれの話の意味が理解しきれないのだが、この辺が十何年にも渡ってこの漫画を読み続けている理由の1つであろうと思う。