脳の意識 機械の意識

機械は意識を持つことができるのか。「ブレードランナー」や原作の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、「マトリックス」、「ターミネーター」、「ロボコップ」、「銀河鉄道999」、「からくりサーカス」もそうかな。

SFじみたこの疑問をテーマにしたフィクションは、新旧含め枚挙にいとまがない。

 

機械が意識を持てるのなら、将来的に機械に人間の一部を移植すれば、機械の中でヒトは第二の人生を送れるようになるのか。

グーグルの技術開発部門を率いるレイ・カーツウェルは、21世紀半ばまでに、意識の機械への移植が現実化する、と予言しているらしい。

そもそも意識とはなんなのか。

画像を処理し、それを記録することと、世界が「見えて」いることは本質的に異なる。カメラはいくら性能が上がっても世界が「見えて」いるのではない。

作中で述べられているライプニッツの、風車小屋を意識の住居に見立てる話がわかりやすい。風車小屋の機械的機構(客観)は、その気になれば、余すところなく仕組みを解き明かすことが可能だが、それが明らかになっても風車小屋の意識(主観)はどこにも見当たらない。

風車小屋は今日は風が強いから、風車がよく回って気持ちいいだの、この穀物は粒が大きいから潰すのに力がいるから嫌だな、などとは思わない(思っていても証明出来ない)。

本書では「見る」仕組みについてニューロン、電気スパイクの発生の仕組み、科学の実験の歴史などを用い述べている。

散々、小難しい専門分野についての記述を読んだ後で、「最大の問題は、我々が客観と主観とを結びつける科学的原理を一切もたないことだ」って、じゃあなんのために、こんなに頑張ってニューロンの働きを解明しようとしてるんだよと、梯子を外されたような気持ちになる。

そこで客観と主観の隔たりを埋めるものとして、哲学者デイヴィット・チャーマーズの「サーモスタットに意識がやどる」、「すべての情報は、客観的側面と主観的側面の両面を併せもつ」とする「情報の二相理論」が出てくる。

専門家は「知らないこと」を知っているからこそ、一見、荒唐無稽な「サーモスタットや月の裏にポツンとある石も意識を持つ」という意見を論理的に否定できないことを知っているって。

わかんないことは、言っちゃったもん勝ちって事じゃないのそれ 笑。ギリギリの詭弁じゃないかと思うけど、確かに月の裏の石が寒いと思ってないとは、誰も証明出来ないものね。

そうは言ってもということで、意識の科学を従来の科学の枠組みに収めるために、自然則がヒントになるのではと著者は言う。

自然則とは他の法則から導くことのできない科学の法則の事だそうだ。つまり、なんでそうなの?と聞かれても、知らないわよ、そういうものなのよ!と言うような規則。

で、これだけだと言ったもの勝ちになってしまうので、自然則は証明できるかどうかで、従来の科学の枠組みに収めることが出来るんじゃないかと著者は述べる。

証明可能性があるかないかが、科学と哲学の違いなのだと、著者は怒られちゃうかもと言いながら言う。

世界中のとびっきり頭のいい科学者たちが、詭弁ぎりぎりの理論を証明したり、反論したりするために、その頭脳を使っているってのが、なんだかもうフィクションの世界みたいと思いながら、非常に興味深く読了。

機械の体を手に入れるための旅のゴールは、意外と近いのかもしれないよ、鉄郎。

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