ゴジラ-1.0 [ネタバレあり]

人間が相対する物事には合理的なことと不条理なこと両方があり、対応出来る場合とできない場合がある。頑張ったからといって報われるとは限らないし、頑張らなくても失敗するとも決まっていない。それはほとんどが個人の資質によるものではなく、あくまでも運によるものなのだが、どれだけ腑に落ちなくてもそういうものなのだと諦観した方が解決が早いこともある。

 

しかしながら人類が思考というものを手にしてしまった以上、簡単に諦めることはできず、人類の思考に物事が連動して動くようになることも決してないので、不条理は起こり続け奇跡もまた起こり続ける。そういうことだ。

 

簡潔にいうと人間は公平ではない。むしろ公平であろうとする人間にこそ尊さがあるのだ。そこでゴジラである。人間の営みに対してそんな細かいこといちいち構ってる暇はねーんだよ!!と全てを蹴散らすのがゴジラなのである。言葉は通じない。目的もわからない。

 

人智の及ばない不条理で理不尽なゴジラという出来事に恐れ慄きどこかで崇めるような気持ちさえ持ちながらも、踏み潰されっぱなしになっているわけにはいかないのでどうにか知恵を絞る、という地道な人類の軌跡を見るのが私にとってのゴジラ映画鑑賞である。

 

いやあ今回のゴジラは辛かった。泣きっ面に蜂感が甚だしい。戦争を生き延びた人間たちの抱えるサバイバーズ・ギルド(生き残った者の罪悪感)ごと踏み潰してぶち壊していくゴジラ。シン・ゴジラのように近代科学の力を世界中で結集するわけにはいかない。何せ戦後ただでさえボロボロで日本は軍事力の保持を許されず、冷戦中のアメリカだって手伝ってはくれない。

 

どうやって倒すのかと興味深く見入っていたがなるほどねえ。あのワダツミ作戦が実現可能なのか考えるのは無粋というものだろうが、あるもので何とかしようぜという精神性は好きである。

 

ラストを綺麗事だと見る向きもあるかもしれない。しかし綺麗事だって良いではないか。世の中には頑張っても報われないことはままあるし、頑張らなくても何とかなることもある。

 

しかし彼らは頑張って何とかしたのだ。現状を打破し、抱える罪悪感とともにこれからを生きていく覚悟ができたということが尊いではないか。たとえ未来に禍根を残したとしても(シン・ゴジラの皆さん頑張れ!!)。

 

ここからは余談であり蛇足であるが、ゴジラを映画館に見に行くと一定程度以上の年代の人はゴジラの頭小さかったねと言う人が多く興味深い。

本作は出し惜しみすることなく開始まもなくから大暴れするゴジラを満喫することができる。早々にジュラシック・パークの恐竜みたいなゴジラ出てきたときは興奮するとともに比較的鮮明に恐怖を覚えた。

 

私は特に昔のゴジラに愛着が強いわけではないので構わないが、昔のゴジラの造形は悲惨な破壊行為をしているのに、どこか牧歌的な雰囲気を漂わせるのに役立っていたのだなと思ったのである。

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