シズコさん

子供の頃のことを鮮やかによく覚えていらっしゃる。作家だからなのか、年を召されると昔のことが鮮明になるというアレなのか。言語化できると辛さというのは整理されるだろうか。


 母親と娘の話というのは、怪談話に似ている。お互いは自らを映す合わせ鏡のようであり、親子であることはそれから目をそらすことを許さない。異性であれば可愛さに変わることも、同性の場合は憎さに変わることもある。

本作を読んでいると、人間は優しくするために生きているのではない。その余裕があるときに優しく生きることができるのだけなのではないかとすら思う。

 著者は佐野家の長女として生まれ育つ。兄弟姉妹は7人いたが、兄や弟が病気で亡くなり大人になったのは4人だった。父母はごく頻繁に喧嘩をし、性格はまったく合っていなかったという。

研究者の父は家にいても難しいことを言い、決して付き合いやすい人ではなかったようだ。著者は自分は父に愛されたが、弟はよく折檻されていたという。弟が父が死んだ時に言う言葉は衝撃的だ。

母親は父親が帰ってくる前になると白粉をはたき、鏡台の前で口紅を塗り直す。美意識の高い人で、若い頃はモガの服装がよく似合っていたそうだ。家の中はいつも、小さい子供がいると思えないほどよく片付いていたという。

父親が突然連れ帰ってくる客には、あるもので旨い酒の肴を作り、明るくもてなす社交的な性格。この人の作る中国仕込みの水餃子がとても美味しそうで、客の中には熱烈なファンがいたそうだ。

反面、障碍者の自分の弟には冷淡で、そのような弟などいないかのような物言い。ずっと見返りもなく弟の面倒をみる妹にもそっけない態度であったという。

 晩年認知症になった母親を施設に入れた際、著者は親を捨てたという罪悪感で苦しむ。なかなか上等な施設で結構なお金が必要だったらしいが、高額な負担は罪悪感を相殺するために必要だったのだ。

著者が許せなかったのは自分なのだろう。頑なで可愛がられることが得意でなかった自分。母親を愛せなかった自分。自分より才能があり、双子のように育った兄が病で早くに死に、著者は本当は自分が死ねば良かったとずっと自分の存在を許せなかった。

 認知症でそれまでの灰汁がすべて抜けたような母親と向き合い、著者は初めて生きていてよかったんだと自分を許し、母親のことも許せるようになる。いわゆる雪解けであるのだろうが、そこに至るまでの著者の幼い頃からの思いを想像すると、余人が軽々にわかるなどとは言えないものがある。

「人間は正しくない」「世の中にないものはない。ごくふつうの人が少しずつ狂人なのだ。少しずつの狂人の人が、ふつうなのだ。」衝撃的で印象的な言葉で表現されるのは、母と娘の人生の軌跡だった。

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