ちょっと前衛的すぎて何を言ってるのかいっこもわかりませんでした。せっかくなので何がわからなかったのか少し考えてみる。
ある日、目が覚めると唐突に自分に名前が無くなってしまったことに気づいた主人公。職場に行くと自分の名刺が自分に変わり仕事をしていた。これは何かの病に違いないと病院に行くと、名前をなくした自らの空虚が周りにあるものを飲み込んでしまうことに気がつく。気慰みに行った動物園で拉致され裁判にかけられ周りを飲み込んでしまうのは有罪と裁かれそうになるも秘書の証言でなんとか救われる。助けてくれた秘書との仲を深めようとするが身の回りの無機物(ネクタイとか)たちが我こそが秘書と良い仲になるのだと邪魔をしてきてそれもままならない、まで読んだ。何を言ってるのかさっぱりわからない。
自分にとって「わからない」というのは前提とされている知識がなくて述べられていることの真意が理解できないとか、一般的な規則性や予想から外れていることに気を取られ大筋が目に入らなくなるなどである。基本設定や共通認識無くして物語は紡げないと思っている。一般的な基本設定や共通認識に寄りすぎるとそれはそれでノンフィクションでも見せられているのかとゲンナリすることもある。しかし、突飛な設定とはあくまでも日常の中に一部入り込んでくるから突飛さを発揮できるのであり、突飛な設定の上に突飛な出来事を重ねられると目がチカチカしてくる感じで話の大筋を追うことが出来なくなる。おそらく私が頭が固く融通の効かない性格であるからであろう。
カフカの「変身」とかはある日目が覚めたら自分が虫になっていてというそれだけ読んだら何を言ってるか全く意味がわからないものであるが、その後の家族とのやりとりなどで不条理な酷い目に遭ってしまった人間の混乱や悲しみでもって何かを描いているのだと飲み込むことができる。「変身」は非常に突飛な設定であるが、あくまでもイレギュラーは主人公が虫になるという1点なのでなんとかなるのである。これで妹はやかんになり、母親は電話になりましたとかだったらもう私は理解が追いつかなくて何に何を感情移入すればいいのか混乱したままになるだろう。
わかっている人のレビューを読むと哲学的な話であるらしい。小説を用いて婉曲的に概念を描く。ありえないことを積み上げてどれほど小説で遊べるかという神々の遊びかな??下々の読者としては声を大にして言いたい。一つの小説で無機物が喋るのはひとつまで!エキセントリックな登場人物はふたりまで!!