料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?

料理研究家のくせに「味の素」を使うのですか?
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そうか料理というのは突き詰めると思想なのだな。

自分で作るのか、作らないのか
人の料理の内容にこだわるか、こだわらないか(文句言うヤツは自分でやれよと思う私見も含めて)
手間を惜しまず、手をかけるかかけないか
食材や調味料に凝るのか、凝らないのか
おいしさを追求するのか、しないのか
食というものに意味を見出すか、見出さないか

 

一部で悪名高き味の素を使おうと使うまいと、自分で鰹節が作れるわけでなし、海で昆布を取ってこられるわけでもなし。各食材が私の手元に回ってくるまでに誰が何をしているのか、すべてを知ることなど不可能なのだから、ある程度の信頼関係と共にあるものは使うし、そこにあるものは食べるタイプである。

 

無論過去の数々の問題提起と証明があってこその現在なわけであるから、疑問を抱くのが悪いわけでなく、闇雲にありゃダメだと自分の選択肢を狭めるのはもったいないという損得勘定の話であり、高尚に言えばこだわりを持たないという私の思想である。

 

これ本当に動画で酔っぱらいながら料理作ってるあのお兄さんが書いてるの?と思うほど論理的で理知的な文章だった。もしやブレーンがいるのかしら?と下衆なことを考えたりもしたが、仮にそうであったとしても彼の思想や言いたいことは十分に伝わってきたのでこれは良書である。

 

うま味調味料に関する歴史や科学的な背景について大変分かりやすく述べてある。食の世界の情報更新速度は目を見張るもので日々アップデートされる内容についていくのはなかなか難しい。味の素を使うのに抵抗のない私の中にも旧態依然としたイメージは残っていたようで、彼のレシピを見て「おぉ!結構入れるねえ!」という感想を抱いたのは事実である。

 

しかしうま味というものが基本の味覚の一角をなし、それぞれの味覚にシグナルの役割があるという話が本当なのであれば(塩味はミネラル、甘味はエネルギー源、酸味は腐敗、苦味は毒性、うま味はタンパク質のシグナルであると述べられる)昆布で出汁を引かなくても、完熟トマトを使わなくてもうま味を摂取できる味の素を悪としてしまうのはもったいないかなと思うのである。

 

要は用途と目的の話なのであろう。せわしい日々を送る現代人にとって時間短縮が出来ることは、それだけである程度の意味を持つ。うま味があるから控えられる塩分もある。しかしうま味調味料を多用すればおいしいものができるわけでもない。

 

彼はうま味調味料を使わない人間のことを嘲ったりはしていない。ただ事実を知らないまま悪い評価をしたり、使用する人を罵ったりするのはいかがなもんですかね?と言いたいようだ。同感である。味の素を使わなくても本だしやコンソメ、ウェイパーなどを使うのならうま味調味料を使っている。かと言って、うま味調味料を使わずに美味しい料理を作ることができないわけではない。

 

知ろうとする自由、知らないままでいる自由。知った上で使う自由、使わない自由。むしろ食に対して興味がなく、別に美味しくなくとも栄養が取れれば良いというポリシーの人もいるだろう。食い意地に特化したこの飽食の国で、何を食べるかにはありとあらゆる選択肢がある。願わくば誰でもがその人なりに幸せな食生活を送れますように。

 

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