ネタバレを含みます。
こんなこと言ったら怒られてしまうかもしれないがつい思ったのである。このアガサ・クリスティって橋田寿賀子みたいじゃない?思い込みの強い登場人物が、人の人生についてすぐああだこうだ言うあたりが。
久しぶりのミステリーだなと読んだのであるが、いつまで経っても事件は起きない。上品ぶっているが人を見下し、物を決めつける性格の悪い女性の独り言とモノローグが続くのである。
なぜ今アガサ・クリスティなのかと不思議に思っていた。ミステリー好きの中でずっと読み続けられているのは当然のこととして、どうして最近SNSなどでこの本の話題が目につくのか。読んでみてわかった。なるほど、きっとお手本のような毒親の話なので取り上げられているのだ。
この本の初版は1944年。インパール作戦で日本が北ビルマに侵攻して大敗を喫し、連合軍がドイツ占領下の北西ヨーロッパに侵攻してノルマンディーで歴史上最大の上陸作戦を行っていた頃である。作中ではまだ第二次世界大戦は始まっていないようだが、いずれにしても作品に戦争はあまり関係しない。
あくまでも世界情勢でなく、家庭という小さな社会の中の話である。世界の非常時にあえてフューチャーするのはそこなんですねぇと。その辺りも自分にとっては渡鬼の気配がするのであるが。
アガサ・クリスティが別名義で書いたロマンス小説のなかの一作。ざっくばらんに言えばミステリーの女王による、女の業を描いた作品だ(特に人は死にません)。仕事に成功した優しい夫、良い子供たちに恵まれ、正しい人生を送ってきたと思っていた主人公のジョーン・スカダモアは中東でくらす娘夫婦の見舞いを終えた帰り道、予想外にトルコ国境のそばのレストハウスに何日も足止めを食うことになる。
不意に訪れた予定のない時間は彼女に来し方を振り返らせる。優しい夫と子供たちは本当は自分のことを愛しているのだろうか。私のしてきたことは本当に正しかったのだろうか。常に自分は正しいという確信と思い込みの強さで家族を引っ張ってきたつもりの彼女が、家族のふとした仕草を顧みる時間ができたことで彼らの自分への気持ちに疑問を抱く。
家族を管理し常に良い方向に導いてきた。間違えた方向を向いた家族がいたなら軌道修正しなければ。それは私にしか出来ないことだから。それは家族のために必要なことなのだ。私はいつも正しい選択をしてきたのだから。
しかし本当は自分は家族を追い込んでいるのではないか、疎まれているのではないか、鬱陶しい存在として距離を置かれようとしているのではないか。長旅に出るジェーンを見送った夫の足取りは何かから解放されたように軽く、子供たちはそれぞれの所帯を持った後、ことさらに彼女と離れたところで生きようとしているように思えないか。
この本がある意味一番真に迫っているのは、動揺し、今までの自分を悔い、家族に詫びようとした彼女が最後に取る行動である。人は砂漠に何日か閉じ込められたくらいで変わったりはしない。そしてそんな彼女とずっと付き合ってきた家族は良くも悪くも彼女が彼女であることを諦めて受け入れ、それぞれの付き合い方を体得しているのだ。
愛情がないのとは違うが受け入れられないこともあるし、自らで受け入れると覚悟したものは最後まで責任を持って引き受ける。シェイクスピアのソネットを冠したこの小説は、本人も無意識の女性の業と家族の生き方を描いた物であった。