自閉症は津軽弁を話さないリターンズ

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多様性やダイバーシティと言えばいいという風潮に胡散臭さを感じている。みんな違うのはわかっとるわい。どう違うのかなぜ違うのか知ることも調べることもせずに、「みんな違って、みんないい」だけを言っていても格差や差別は無くならないだろうし、必要な方策も取れないじゃろがいと思うからだ。

 

「自閉症は津軽弁を話さない」という印象的なタイトルである。間違えて続編のリターンズを読んでしまったが前巻の内容をかなり網羅したもののようなので結果オーライとする。

 

自閉スペクトラム症(ASD)の児童は津軽弁に関わらず方言を話さない(ことが多い)ということのようだ。なぜこの本を読んだのかと言えば何がどう違ってASDの児童が方言を話さないのかが気になったからだ。読んでみると人間の認知能力と言語習得についての話であった。非常に興味深かった。

 

自閉スペクトラム症(ASD)はコミュニケーション・対人関係の困難とともに、強いこだわり・限られた興味を持つという特徴がある発達障害である。 「スペクトラム」とは、「連続している」という意味で、ASDには、自閉症・高機能自閉症・アスペルガー症候群が含まれる。

 

著者は教育学の博士号を持ち、公認心理士(国家資格者として心の問題を抱えている人およびその周囲の人に対して、解決に向けた相談、助言、援助をおこなう・心の健康についての知識や情報の発信、提供をおこなう)、特別支援教育士スーパーバイザー、臨床発達心理士である松本敏治氏。

 

心理士として乳幼児検診に関わる妻から「自閉症の子どもって津軽弁しゃべんねっきゃ(話さないよねぇ)」と言われて始まったこの研究はその後十数年にもわたることになる。当初、ASDが方言を話さないように見えるのは独特の話し方のせいだと認識していた著者は特別支援学級の教師たちに話を聞いてみて妻の意見に同意するものが多いことを知る。

 

ASDの人はその場の空気を読んで行動することが不得意と言われる。人間が言葉を習得する過程では家庭内での会話、幼稚園やら保育園・学校での会話、TVの音などさまざまな音を聞く。

 

場面によって異なった発音や意味合いを持つことが多い方言はASDの人々に習得を難しくさせる。対して標準語で話すことが多いTVの音は一定の発音や意味で使われるためASDの児童が真似をしやすく習得しやすいということのようだ。

 

しかしTVやラジオなどの音声メディア発達前のASDはどうだったのだろう。音声メディアの発達により、人間の言語習得方法は変わったということなのだろうか。

 

「ことばを学ぶためには意図や心理状態を理解すること、意図理解にもとづく模倣・自己化が必要であり、そこに困難を抱えるASDは周囲の人々が日常使っていることば(方言)を習得するのが難しくなるだろう。」

 

普段はタメ口で話す友人でも、改まった状況の時は敬語で話すなど、人は状況に応じて言葉を変える。ASDの人はこれが不得意なことが多い。初対面の人と敬語で話すのは出来るが、仲が良くなってきても敬語を止めるタイミングがわからない(ちなみにこれは私も苦手だ)。

 

察することを求められることの多いこの日本という国はASDの人にとって生きづらい国なのではないだろうかと思いながら読んでいた。唐突だが日本でユニコーン企業が生まれづらい理由のひとつはそういうところじゃないかと。

 

外国のASDの人と違いはあるのだろうか。以前読んだ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 」に、英国ではいろいろな表情をしている写真を見て、その人が怒っているのか喜んでいるのかを判断する授業があると読んだ。「普通はそういうこといわないでしょう」とか「常識的に考えて」とか漠然としたことを言いがちな日本に対して非常に具体的で明瞭である。

 

不明瞭を明確にし前提条件を明らかにすることはASDの人の個性を殺さず生きやすい世の中を作ることにならないだろうか。ASDの人たちの中にはサヴァン症候群などで優れた能力を発揮する人たちがいる。ある分野は不得意でも、得意な分野を生かすことができれば生きることの困難は減る。

 

得意な分野がなくても、出来ないことを明確にしてそれをフォローできる方法を身につけ、社会がそれを認知できればずっと生きやすくなるのではないだろうか。

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