リクルート事件があった当時は10歳だった。事件の概要はもちろん理解できないがリクルートと江副という人の名前をよほどTVが繰り返し唱えていたのだろう。なんとなく覚えている。TVニュースで騒ぎになる会社とその経営者。詳細はわからなくとも悪いものとして頭にインプットされたであろうその名前を、10年以上後に自分が使うサービスを提供する会社として耳にするのだと聞かせたら幼い私は驚いただろうか。
就職活動をするようになって久しぶりに聞いたリクルートの名前は合同企業説明会やwebサイトなど多種多様な就職に関するサービスを提供する会社として社会にしっかりと定着しており、利用するしないに関わらず就活中の学生にとっては知らない人はいない存在だった。
企業としてのリクルートのイメージは、ハイレベルな頭脳と体力自慢の人が起業を前提に新卒後数年勤める会社で、なんだか知らないが寝ないで働くバイタリティーあふれる高学歴な人がたくさんいる恐ろしい会社というものだったが現在はどうなのだろうか。
リクルートを作った江副浩正氏の来歴を見ながら、日本のユニコーン企業の起源を見るような本だった。すごいやつは大体友達らしくAmazon創業前のジェフ・ベゾスだの、京セラの稲盛和夫だの、ソニーの森田昭夫だのが出てくる。
江副氏率いるリクルートに対して、本の中ではうさんくさいと言われていた、うさんくさいと思われていた、うさんくさいけれどもそこがいい!などの記述が何度も出てくる。そもそも胡散臭いとはどういう意味なのかを改めて調べてみた。「どことなく怪しい。疑わしい。油断ができない。(デジタル大辞泉)」
なんというかこの言葉自体がふわっとしている。わからないものをわからないから怪しいというような。うがった見方をすれば、新興のものに対する既得権益を握っている人たちの不安を表したような言葉にも思えてくる。
広告という新たなツールを使って就職業界の需要と供給を結びつけ、バブル前夜の日本でいち早く不動産が高騰することを察して不動産情報誌を作り、各地の土地を買い漁って地価の上昇に備え、インターネットの重要性にもいち早く気がついていたという江副氏は、関連会社の未公開株譲渡で時の政権を揺るがした企業犯罪を起こしたとされている。
誰にもおもねらず自らと仲間たちとで作り上げた新しいビジネスで既得権益を壊して影響力と金を手に入れた人が、最終的により大きな力を手に入れるために既得権益側に擦り寄っていき身を滅ぼした。身のほど知らずのイカロスが太陽に近づきすぎて落ちたみたいな既得権益側に都合のいい教訓話になってしまいそうで何となく悔しい。
それは小学生でも覚えるほど日本中で悪い悪いと話題になった企業が、事件後数十年経った今も立派に存続して人々に仕事を提供し、利用者にサービスを提供しているからだ。こんなしくみや会社を作れる人はそうはいないだろう。
先見の明と人を生かす能力を持った人が悪い道にハマりすぎないようにしたり、失敗してもやり直せるような方法があった方が日本のためには良かったのではないだろうか。ユニコーン企業が生まれずらいと言われるこの国で生きる凡百の1人としては、なんだかもったいない話だなと思いながら本を読み終えた。