白夜行

created by Rinker

TVerで昔の白夜行のドラマが放送されると先日知った。暗いし重いという評判をずっと見聞きしていていたので特に原作を読もうとはせずドラマも見てもいなかったのだが、何となく気が向いて見てみることにしたのである。

 

見始めた初手から暗いというよりも酷い。作品がではなくて起こる出来事の数々がである。まだ半分弱くらいの回までしか見ていないはずなのに、彼らはどうしてあんなに遠くまで行っちゃったのかという思いである。

 

TVerさんは商売が上手くて、3回くらいに公開時期を分けてドラマを放送する。こんな酷い話を1ヶ月近くも結末気にして待ち続けるのは嫌だったので、先に本を読んでしまうことにした。結果、同じ物語を視点を変えて見る(読む)ことで解像度が上がったので悪くはなかった。

 

強烈な共依存の物語であった。生きるための連携といつか連帯というか共生というか。シドアンドナンシーなんか目ではないし、ボニーとクライドのような突き抜けた感じもない。

 

幼い頃に酷い目に遭って誰にも保護されることのなかったふたりが、善悪の基準を教わることもないままどうやったら生きていけるのかを一生懸命考えた結果、彼らはボロボロになり、彼らが通った後の道には傷つけられた人間がポツンポツンと打ち捨てられることになった。そんな話であった。

 

作中で彼女は美しく、彼は賢いのであろうことがうかがえる場面がいくつもある。美しさや賢さというのは人間を幸せにするだろうかと時々考える。一見幸せを呼ぶものであるような気もするが、実際は不幸を呼ぶことも多いのではないかと思うのである。

 

美しさは生き物を目立たせる。目立つ生き物は餌食にされやすい。賢い人は小賢しいと言われて蔑みの対象になることもある。手段を選ぶということを学ばないまま成長すると、人道的に許されなかろうともブレーキがかからなくなり、賢さゆえに、そこまで?!というところまで行くようなことになってしまうこともある。

 

少し前にリヴァー・フェニックスの生い立ちを何かで読んで、何という人生かと暗澹たる気持ちになった。彼にとってその美しさはもはや害悪であるようにしか思えなかった。宮部みゆきの小説「模倣犯」や「RPG」には頭の回転の良い登場人物がその力を悪い方に振って本人を不幸にするシーンがあることを時々思い出す。

 

小説はあえて主役2人にほとんど語らせず周囲の人間の様子を描くことで2人の輪郭を浮かび上がらせる手法をとっている。宮部みゆきの小説「火車」などと同様である。

 

都合、小説は想像の余地を残し空白が多くなるが、ドラマは敢えてそれを逆手に取り、主役2人に大いに喋らせる。相互に保管し合うことで、なるほどあの時はそういうことだったのねと表現することを野暮と思うか別の作品だからアリと思うかは好みの問題だろう。

 

まだドラマの放送は終盤を残しているのだが、あの美しい綾瀬はるかが回を重ねるごとに卑しさや醜さを表現していき、山田孝之はある種解脱したようになっていく様子を見て、俳優というのはすごい仕事だなと思うとともに、映像と小説の表現方法の違いを実感したのである。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です