なぜなのかよくわからないが最近「藪」という字が気になって「藪」と言えば『藪の中』ということで読むことにした。先日『蜘蛛の巣城』で弓矢に射られまくる三船敏郎を何かで見て、黒澤映画の三船敏郎を見たのもきっかけかもしれない(『羅生門』は芥川龍之介の『藪の中』が原作。)
なんとなしに「藪」とは夏の季語でないのかしらと思っていた。実際はそんなことはなく、むしろ江戸時代の奉公人が正月に休みをとり親元に帰る意味の「藪入り」などは正反対の季節の季語であるようだ。ただ盂蘭盆明けの休みを「後の藪入り」と言うそうで多分こちらのイメージで夏ではないかと思っていたようだ。
「藪」は生命力が盛んな植物が混在して生い茂り、人間の浅はかな何やかやを覆い隠して見えなくして、ついでに時々命ごと飲み込んでしまうような強烈な生命の塊のイメージがある。今年の夏は短い梅雨が明けて早々に猛烈に暑いが、この暑さに強烈な生命力のイメージがある藪を連想したのかもしれない。
素晴らしい小説からは気配や匂いがするものであるが、『藪の中』の圧倒的な草いきれと人いきれよ。
盗人、女、男ら皆がみな違うことを言うのは見栄かプライドか、はたまたその人物にとっては真実そのように見えているのか。たまに嘘をついているうちに嘘を本当だと思い込んでしまうタイプの人がいるがそんな人間が紛れていたらますます真実はわからないなと思いながら読んでいた。
結局明快な答えは提示されることなく、虚と実など所詮は藪の中のものでわかりはしないという突き放したような視点なのだが、非常に人間らしく魅力的な物語だと思うのである。一見、推理小説のような体裁だが推理小説ではないので真実を導き出すことが目的ではない。露悪趣味的な人間らしさを濃厚に味わうのにとても適した小説である。
本書の作品は芥川龍之介の「王朝物」と言われ平安時代に材料を得た歴史小説であり、すべて『今昔物語』もしくは『宇治拾遺物語』に出展をあおいでいる。かつ『偸盗』はプロスペル・メリメの『カルメン』も粉本にしたとも言われ、芥川龍之介というのは大層賢い上に実験的に色々書くのが好きな人だったのだなと思うのである。
『偸盗』は芥川には珍しくメロドラマ風の構成でご本人はあまり気に入らなかったご様子だが私は非常に好きだった。野卑でありながら嫌悪感を抱かせずどこか美しさを感じる描写。登場人物たちの序盤の鬱屈とした様子。そこからの躍動、そして浄化。この短さで登場人物は比較的多いのに、それぞれのキャラクターが善悪の問題でなく非常に魅力的で目が離せなくなる。
久しぶりに本を読んでいて景色が見えた気がした。夜の暗がりの中を馬で駆ける太郎の姿が見え、事切れる直前に生まれたばかりの赤ん坊を見た猪熊の爺の目に浮かぶ煌めきを見た気がするのである。