先日健康診断があった。バリウムの検査があったため朝食を抜いて、梅雨の晴れ間の暑さの中大量に汗をかきながら病院に向かい各種検査を受けたのである。
血液検査、レントゲン、視力・聴力。検査が進むうちに、なぜか自分の機嫌が大層悪いことに気がついた。終盤のバリウム検査に至っては今にも舌打ちせんばかりの鬼のような気分になっており「何だよこのバリウムってのは。人類はこんなに進化したのに、こんなマズイものを飲んで、回転する硬い床の上を自力でもゴロゴロ回転しろとはどういうことだ。」とバリウムも飲み進まず、長い時間かけてチビチビやっていたら、病院の方にもういいですよと言われる始末であった。
自らのあまりの機嫌の悪さに「なんだこれは?」と思いながら帰路につき、昼食を取ったら途端に機嫌が直った。空腹になったら機嫌が悪くなるという赤ちゃんばりのアンガーマネージメント能力の無さに、健康はともかく器の小ささを測定できた診断ではあった。
しかし十分な食事の有無は人間の情緒に大きく影響を与えるものであるらしい。本書の舞台になっている刑務所では受刑者に1日6合の穀物を与えるのが規則とされていた。食事が減ると受刑者の不満が募り破獄や暴動のきっかけになるというのだ。
漫画「ゴールデンカムイ」の白石のモデルになったという人物を題材にした吉村昭の小説である。時代は第二次大戦最中と戦後。登場人物のお見事な破獄の様子はもちろん興味深いものであるが、作品のサブテーマは「戦争と刑務所」といったところだろうか。
需要の増加に伴い給料の上がった軍需産業界には応募が殺到したが、薄給なままの刑務所業界は人手不足で看守たち大変に苦労していたらしい。それに加えて、生活用品や食糧品不足で刑務所運営は困難を極めていたようだ。看守たちは自らが配給で得られる量よりも多くの食事を与えられる囚人たちを監督しながら複雑な気持ちになったことだろう。時に囚人の食糧に手を出して懲戒を与えられる看守もいたという。
受刑者は刑務所の中で毎日6合もの穀物を食べてぬくぬく(網走刑務所は決してぬくぬくではないが)と生きるのに、一般人は否応なく徴兵されて戦地で命を危険に晒さなければならないのか。ふーん。徴兵逃れに犯罪犯して刑務所に入れば、とりあえず戦地で死ぬことはなくなりますねと非常に性格の悪いことを考えてしまった。時折、自分の中の非人道的だったり差別的な思考に気がつきゾッとすることがある。
個人的思想がどうあっても、実際の戦場がどれだけ過酷なものであっても、そもそも兵役は法的には刑罰ではない。囚人に十分な食事を与えなかったり、徴兵して特に危険な戦地に送りこんだりすることがまかりとおると、罪を犯した人間にはバチが当たるのが当然なのだという思考に至ってしまいそうで恐ろしい。バチと罰は違う。
昨今世の中のさまざまな場所で目にして違和感や嫌悪感をもっている「罪を犯した人は酷い目に遭っても当然」という考え方が自分の中にもあることを感じる。炎上動画をアップした人たちを執拗に追求して追い込み社会的に抹殺しようとするような感情と同じものだろうか。
最近放送していた「地獄楽」というアニメは、罪人を得体の知れない島に連れていき、不老不死の仙薬を持って帰ってこられたら釈放するという条件で化け物と戦わせる話だった。囚人たちはそれぞれ腕に自信のあるものばかりなのだが、かなりの割合が助からない。フィクションの世界でときどき使われる設定なのだろう。まさか21世紀のこの世界で現実のものになるとは思わなかったが。
ロシアはウクライナとの戦争に囚人を兵士として動員しているという。兵員不足をしのぐための対応と言われているが、兵役で犯罪歴を取り消す等の条件が提示されていることから考えると結果的に兵役は刑罰に代わってるということか。実際には生きて帰るのが難しいような戦場に連れていかれて囚人たちは酷いことになっているようだ。凶悪犯なのか軽犯罪なのか知らないが裁判で死刑になったわけではなかったのだろうに戦場でいいように命を使い潰されるのか。それは罪を犯した人間とはいえ人道的に許されないことではないのか。
戦争による食料事情の変化は一般人と受刑者の死亡率の割合を変化させ、従来は低かった受刑者の死亡率を一般人のそれよりも著しく上昇させた。穀物を1日に6合与えられようとも、野菜やタンパク質のほとんどない食事は受刑者の健康を大きく損なうものだった。
法務省のHPを見ると、刑務所とは矯正処遇(刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律において,その者の資質及び環境に応じ,その自覚に訴え,改善 更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うもの)を行うところだとある。
脱獄名人の本は面白そうだなと興味本位で読んでみたが、図らずも現代の戦争と引き比べ、戦争は罪を償う機会すらも奪っていくだという残酷を思い知ることになった。