軌道

雲仙・普賢岳噴火災害、倉敷公害訴訟、尼崎公害訴訟、そして阪神淡路大震災の災害復興支援など、数々の災害や公害対策で被害者側に立ち都市計画コンサルタントとして携わってきた淺野弥三一氏の家族は、福知山線脱線事故に巻き込まれた。

 

淺野氏はJR西と事故原因を求める長い長い戦いをすることになる。運命論者ではないつもりだが、こんな偶然があるものだろうかと宿命のようなものを感じてしまった。

 

2005425日に起きた福知山線脱線事故は衝撃的だった。新聞やニュースで流れる脱線車両の映像は線路脇のマンションに突っ込み大破しており、一部は原型を確認することもできず、人が大勢乗っていたことなど想像もできないように変形していた。

 

運転士を含む死者107人、負傷者は562人に上った。この本を読んで少し調べただけでも、未だに深刻な怪我の後遺症に苦しんでいる被害者の方々、家族を失った喪失を抱えながら生きていらっしゃる方たちの姿があった。

 

事故現場の見た目にも、人的被害もあまりにも甚大な事故であったために、死亡した運転士や当時のJR西の上層部の責任を問う声や訴訟の様子に、世紀の極悪人を糾弾するかのような雰囲気を感じたことを覚えている。

 

そのような社会的風潮の中、家族を失った直接被害者の立場からJR西を糾弾するのでなく、事故の起きた原因を追求しようとした淺野氏。彼は「遺族の責務」と言い、「責任追求をいったん横に置い」て人、物、組織としての事故の原因を追及した。

 

自分に置きかえて考えれば、到底そんな冷静な対応ができるとは思えない。しかし彼にはそれまでの仕事で培った行政や巨大な企業との交渉というノウハウと、客観的に事態を俯瞰しようとする視点があった。

 

これは甚大な被害を生んだ事故を、被害当事者が客観的に「失敗」と「原因」として分析することを求め、専門家や行政、最終的には加害者であるJR西との共同作業で解明していくのを描いたノンフィクションである。

 

作中には元国鉄の出身であるJR西の上層部を掘り下げた箇所がある。民営化されたJRの創成期を作り上げた人々は、やはり有能で迫力もありバイタリティに溢れている。しかし事故後の対応において正しい目的で使えば有効な根回しや事前準備を、事故の過失をないように見せ、事実解明よりも責任逃れと組織防衛することに利用した。有能な人々の間違った目的のための手段であった。

 

この人たち、多分自分が出来すぎるから出来ない人や疲れたり傷ついたりした人の気持ちがわからないんだなと思いながら読んでいた。人間は本気を出せばミスなどするわけがない。全力を尽くせば多少無理な状況でも事故など起きるわけがない。その気になれば出来るはずだ。多分本気でそう思ってるし、その考え方は変えられないんだろう。

 

作中ではJR西の対応について「事故対策が、過去に発生した事故・事象への対症療法、つまり経験工学的な発想にとどまり、ヒューマンファクターへの理解が欠けていた。」と語られる。創成期の体制に依存して、変わりゆく時代に適応できなくなってしまった組織は有能な人々の集合であっても間違えた方向に進んでしまう。

 

JR西が必要としたのは旧態依然とした体制からの脱却と、新しい考え方を企業の姿勢として受け入れることだった。

 

「失敗」に対処する方法は、近年、世界的に大きく変わりつつある。「気の緩みや意識の低さから起こるヒューマンエラーが事故の最大の原因」とする責任追及型の考えから「ヒューマンエラーはシステムと人間の不調和、人間の特性や諸々の環境条件から起こった結果であり、原因ではない」という原因追求型の考えへ。

 

誰か個人に責任を押し付けて終わりにするのでなく、組織の構造に問題があるとしてそれを解明しようとする姿勢が必要とされるのだ。

 

あの事故を取り上げたノンフィクションと聞いて、どんなに悲惨な物なのかと少し尻込みしていた。内容によってはリタイアしようと思っていたのだ。しかし最初から最後まで非常に興味深く読んだ。著者が淺野氏の意思を汲み、感情的にならず客観的に描こうしているのが読みやすかった理由の一つであると思う。

 

この本は悲劇を感情的に煽るのなく、起きてしまった事象を「失敗」としてあくまでも客観的に受け止め、なんとかして二度と同じ事象が起きないようにしようとする当事者たちの姿勢そのものを描いたものだった。

 

「淺野は偶然を不条理のまま終わらせず、『なぜ』を徹底的に突き詰めて、事故を社会化しようとした。いわば、事故の瞬間に未来から働きかけ、偶然性に永遠の意味を付与しようとした。」

 

奇跡や宿命などではないのだ。だが、強い強い淺野氏の覚悟と真実を追及する姿勢だけは比類なき物だと思う。これは読むべき本だった。

 

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