ちゃぶニチュード!

ちゃぶ二チュードとは。お店に入って感じる「ちゃぶ台をひっくり返したくなる怒りのエネルギー」を分類したもの。

最初、人に「ちゃぶ二チュード面白いよ!」と勧められた時、何の話や、と思っていたのだが、まあそう言うことです。私がこの手の本を面白がることを読まれているな。

著者の周囲には、マズイ店情報網がある。

日経新聞特別編集委員であるという野瀬氏のもとには、日々「すごくマズイ寿司屋を見つけました!」、「都心に奇跡的にマズイラーメンを食べさせる店がある」、「あそこのホテルの朝食がマズイ」などの、普通はいらない情報が寄せ集まってくる。

ご本人も気ままに街で店に入り、しっかりとマズイ店を引き当て、フィールドワークに余念がないご様子。

まあ本当にマズそうな店が、ズラズラと出てくる。味のしないチャンポン。客が頼んでから具材を煮込み始めるおでん屋。魚介類の入っていないパエリア。酸っぱい(腐っている)肉どうふ。裏側が炭化して真っ黒な靴底(のような)ピザ。網に挟んで焼く鰻。

ちゃぶ二チュードな理由はさまざまである。正しい作り方を知らないまま料理を作る。味が付いていればいいと思っている(塩味のある何かが入っているか、色が付いてことが基準)。原料費が安ければいいと思っている。調理方法が簡単だから。

アレだな、「目的のためなら、手段を選ばない」ならぬ、「手段のためなら、目的を選ばない」やつだな。

確かにちゃぶ台をひっくり返したくなる。何がしたいんだよー!美味しいものが食べたいんだよー!そんなんならやめちまえー!!

と思うのだが、これらの店のすべてで、閑古鳥が鳴いているわけではないようなのだ。中には、行列になっている店もある。こうなると、マズイとは何なのか、という疑問につき当るのである。

世の中には、食べ物や食べることについてあまり執着のない人がいる。食べられれば、口に入って栄養が摂取できれば、いいのである。ともすれば栄養摂取の別の手段があるなら、食べることにこだわらないという人もいる。

食い意地のはった自分には、想像しづらいことであるが、合理的で効率的と言えば、言えなくもないかもしれない。

ご飯の存在意義の多くを占めるのは、おいしいことだと思うのは、この飽食の時代に巣食う、嗜好品的な感覚なのか?!自分の価値観が揺り動かされる。

というほど大げさなことではないが、著者のあくなき、ちゃぶニチュードへの探究心に、世の中にはいろんなものを面白がる人がいるのう、と興味深く読了。

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