人は物事を、「通し」で見たくなるものなのである。年末年始の再放送ドラマの一挙放送を、年の瀬の忙しい中、ついつい何時間もかけて見てしまったりする。
流行りのグローバルヒストリー(地球的規模での世界の諸地域や各人間集団の相互連関を通じて、新たな世界史を構築しようとする試みであり、世界中の学界で最も注目を浴びている歴史のとらえ方である。引用:グローバルヒストリーが照射する新たな舞台 )の人気本、下巻である。
だから、結局、グローバルヒストリーって「通し」ってことでしょ。
物語が始まったら最初から最後まで(もちろん歴史においては知りうる一番最近までという意味になるが)知りたい。
主役はもちろんすべての登場人物の性格・背景にいたるまで、知りたいったら知りたいの!
これアレだ。わがままが過ぎて小説だとテーマがボヤけるやつや。あれもこれもとキーワード入れ過ぎて、最終的に一番言いたいことがどれだったのかわからなくなるやつ。しかし、この「知りたいったら知りたい!」という人間の渇望こそが、下巻の大きいテーマであると受け取った。
アニミズム(動植物のみならず無生物にもそれ自身の霊魂(アニマ)が宿っており,諸現象はその働きによるとする世界観。引用:三省堂 大辞林 第三版)的多神教の世界から、農業革命に伴う宗教革命で一神教の世界へ。
さて、ヒトが小麦の奴隷になった後の話。
原始の狩猟採集生活を手放して、農耕を手に入れると、ヒトは神頼みしたくなった。いくつかの作物に限って耕作をする生活は、天候やら虫害やらヒトにはどうにもならないものに左右されるようになる。そこで神頼みですよ。「古代神話の多くは、じつは法的な契約で、動植物の支配権と引き換えに、神々への永遠の献身を約束するものだった」そうである。
神様はあそこにもここにもいてくれる、とか呑気なこと言ってる場合じゃなくなって、一番強い神様に「お願い!あなたのことを強く信じて大切にするから、なにとぞウチの畑を守って!!」って、それはもうヤ◯ザとみかじめ料に対するそれである。
交易を行い貨幣社会を築き、帝国は領土を拡大させ、普遍的宗教を持って意思の統一を図り、ホモ・サピエンスはずんずん進む。
さらに私たちは何もわかっていないという「無知の知」を手に入れたことで、理解して今はないものを手に入れようとする。その知識に対する飢えはヒトをさらに遠くに連れて行く。
中世後期のヨーロッパは、好奇心の強いもの勝ちである。新しい資源を、新技術を夢見て新大陸の見果てぬ可能性に投資し、成功した国は大きな富を得る。
対して拓かれた大陸の人々は、散々に迫害され、虐殺され、多くが絶滅する。ヒューマニズム?なにそれ食べられるもの?それより新しい土地を!新しい資源を!新しい知識を!これは私のものだ、それも私のものだ、全部私のものなんだったら!!
「ローマ人やモンゴル人やアステカ族は、知識ではなく、富と権力を求めて新天地を貪欲に征服した。対照的にヨーロッパの帝国主義者は、新たな領土とともに新たな知識を獲得することを望み、遠く離れた土地を目指して海へ乗り出した。」
新しい大陸、新しい技術によって開かれた世界は、経済は成長し続けるという前提の資本主義社会を作る。欲しがるよねえ。「あなたには身体は一つしかないのに、どうしてそんなにいろんなものを欲しがるの。」調子に乗って買い物しすぎると、母親あたりに言われる台詞である。
しかし、ことヒトの築いてきた社会においては、この「アレも欲しいコレも欲しい、もっと欲しい、もっともっと欲しい」精神が拡大を裏打ちするために必須のものであったようだ。
その好奇心と所有欲の前には、同じホモ・サピエンスだって奴隷で牛馬同然だし、家畜は家畜だから材料の一部みたいな扱いになったって興味ないから構わないのである。
「キリスト教やナチズムなど、一部の宗教は、炎のような憎しみから大量虐殺を行った。資本主義は、強欲と合体した冷淡な無関心から厖大な数の人間を死に至らしめた」
炎のような憎しみで殺されるのと、無関心に殺されるのって、無関心の方が嫌だって人が多いんじゃないかな。
どっちみち死んじゃうんなら変わりゃしないよ、この現代人め!と、その時代の人に怒られそうだが、その辺りが散々酷い目に遭ってきた、そして酷い目に遭わせてきたホモサピの末裔の現在の感想です。
しかしさすがグローバルヒストリーの人気本、話があっちに行きこっちに行き、しかもちゃんと繋がっててすごいなぁと小物感のある感想を抱きながら、著者は何者なのかと少し調べてみる。
自分と同世代で、オックスフォード行ったイスラエルの歴史学者で、ユダヤ人。どういう頭の構造してるんだろうな。キャパが私の100倍くらいあるんだろうな。
後半の感想が薄っぺらい感じになっているのは、年末の一挙放送ドラマと同様に後半は飽きて、ながら見ならぬ飛ばし読みしたからです。グローバルヒストリー面白いが、私の頭のキャパシティからは溢れて気が散った。