スウィングしなけりゃ意味がない

どこのグレート・ギャツビーだよと思いながら読んだら、本作の華麗なるギャツビーには大いなる犠牲と覚悟があった。

 本作の舞台はナチス統治下のドイツ、ハンブルグ。主人公のエディは祖父の代からから始まった事業を継いだ父親の成功で、裕福な暮らしをおくるボンボン中学生であるところからストーリーは始まる。

 エディの父親はナチスの党員であるが、商売相手であるイギリスやアメリカの文化の素養を持ち、ナチスの政策について否定的な考え方を持ちながら、うまくそれを利用し成功を収めてきた。

 エディは生まれた頃からスウィングが流れる家で育った。ある時、学校で風貌はパッとしないがピアノについて一級品の腕を持つ同級生マックスに声をかけられ「カフェ・ハインツェ」に行くことにした。

デューク・エリントンに魅せられたマックスはアメリカのジャズに憧れ、不良の上級生たちがたむろするカフェ(今のクラブってことかな)に行きたがったのだ。

 そこでできた友人たち悪ガキ仲間とエディは、戦時下のドイツで、敵性音楽であるスウィングに夢中になり耽溺する。もうここがね、若ぞうがはしゃぐはしゃぐ笑。ボンボンの治外法権すごいな。とても戦争中とは思えない小気味のいい遊びっぷり。

 しかし、生まれつきの金持ちや育ちのいい人間は、人に正当な対価を払うことの合理的な意味を知っていて、敬意を払うべき人間には、それが自分の立場とは違っても敬意を払うことを惜しまない人間が多いように思う。生まれもった富には付随する責任があることを無自覚に知っているのか。

 エディはお洒落で粋であることをモットーとする生意気な若者だが、野暮ったいが音楽に関する感度の高いマックスと親友になり、ハーフのユダヤ人で厳格な性格であるその祖母に対しても敬意を持って接することができる。

 父親はナチスをいまいましく思いながら、それを表沙汰にはできない状況の中、自由奔放に振る舞う息子に自らの願望を託し、息子は自分の富がナチスの庇護のもとにありながら、そのために自らが支払うべき対価を父親が代わりに払っていることを知っている。

 進む戦況はいくらうまく立ち回ろうとも逃げ切れるものではなくなり、エディもその友人たちも家族もそれぞれ追い込まれていくが。

 1940年代の前後、ドイツの富裕層の中に実際に10代の自称スウィング・ボーイズはいたらしい。実際の彼らはなかなか嫌な奴だったという証言もあるようだが。

 本作では戦時下の文化統制、企業・経済活動、外国人の強制労働など重たくなりがちなテーマが軽やかなに綴られる。これは名作だ。今年のベスト5入り決定。

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