バッタを倒しにアフリカへ

純粋な男だ。いわゆる無垢なという意味でなく、純度が高い。高過ぎて、いっそ少しバカに見える。

著者はファーブルに憧れて昆虫学者を目指し、大学で昆虫学を専攻しサバクトビバッタの研究にのめり込み(研究に没頭するうちにまさかのバッタアレルギーになるのだが、特に気にしている様子はない)、神戸大学で博士号を手に入れる。

しかし待っていたのは、熾烈なポスドク(ポスト・ドクター)たちの研究のための本気のイス取りゲームだった。

賭けに出た著者は、バッタの国の本場で研究を行い、その成果をたずさえて凱旋すればその後の仕事にも結びつくのではないかと思いつき、若手研究者を外国に派遣する制度である「日本学術振興会海外特別研究員」を利用してモーリタニアに行くことにする。

序盤、アンタもうちょっと計算しなさいよ、、、と思いながら読んでいた。お金がないと言ってるのに、現地の運転手やスタッフに結構サクサクギャラを払ったり、現地で1万円で買えるスーツを送料5万円もかけて日本から送ってもらったり。

何かを強く求める人間は、瑣末なことに関わりあわない。些細なことに躊躇しているくらいなら、出会った中のもので最善を尽くして常に動いていた方が良い結果が生まれるというお手本のような話だ。

著者はあるものを精一杯使う。

お金がなくてタッパーが買えないなら、街で売っているご飯の入れ物を使う。

多少ぼられている感があっても、コイツは使えると思ったらその運転手を雇う(あまつさえ結婚祝いとか言って、ないお金からお祝いを奮発したりする)。

目的のサバクトビバッタが見つからなければ、ゴミムシダマシ(通称ゴミダマ)を研究して研究能力を磨く。

地道に研究だけしていたのでは仕事に結びつかないならば、バッタ博士となって有名になることでバッタに対する関心を高める。

回り道のように思えるそれぞれの事柄は、人々との出会いを生み、出会いはチャンスを増やしていく。

騙されるかもしれない、無駄になるかもしれないと尻込んでいたら、すべて手に入らないものだろう。

人間は公平でない。能力も外見も経済力も環境も。あるものを最大限に使って、その時の自分の全力を尽くして、失敗しても気にせず(彼女ができないのは折々に気にしていたが)、前に進むという気合いがあれば、道は開けることがあるのだろう。

 

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