本書を読み、久しぶりに向田邦子の著作を読み返してみた。「思い出トランプ」。「阿修羅のごとく」。「父の詫び状」。
「思い出トランプ」の各章は非常に短い。特別な人間は出てこず、いわゆる一般的な人生を送っていることが多い。
しかしその日常の中に見え隠れする残酷さと、人間らしい生臭さのキレはとても鋭い。
「かわうそ」に出てくる女房などは基本的には良い女房だが、時折垣間見せる側面は、それ今だと病名付きそうな性格の悪さですね、という感じのこわさがある。
「阿修羅のごとく」の4姉妹たちは、老齢の父親の浮気に際し、ああだこうだと話し合う。その際に鏡餅を割って揚げ餅を作り、それを食べた長女の綱子は差し歯が折れる。
なんでそんな深刻そうな話し合いの時に、揚げ餅作って、差し歯折らなきゃならんのかと思うが、現実は実はそんなものだ。喜劇のように生きる人々の中に、悲しみや葛藤が折節紛れ込んでいるのだ。
「父の詫び状」では、作者の人間というものへの関心の高さと観察力に驚かされる。
小さい時分の家族との思い出話から、放送作家として成功してから出会う人々の話。どれも味わい深く、綺麗事でなく、いい話もちょっと嫌な話もあるが、いずれも今読んでも古く感じることはない。これが戦中生まれの人の書く文章かと感心する。
向田邦子の書くものには凄みがある。本書を読んで、その凄みの正体が少しわかったような気がする。
一種、露悪趣味的に描かれることもある作品は、家族が支えであり、飯のタネであり、笑いの対象であり、呪縛であったこの人の心の整理の手段だったのではないだろうか。
放送作家として成功しつつあった頃、妻子あるカメラマンと恋仲になり、病気療養中の彼とその母親の面倒をみていたらしい。彼との手紙のやりとりの中に見える向田邦子は可愛らしく甘えて、ユーモアがあって、いつも明るい。
自分自身の家族も支える大黒柱のような存在であったこの人は、結末が悲劇だったとしても、彼といる時だけ、支えてもらえて甘えさせてもらえたのだろうか。