峠(上)

司馬遼太郎センセーパネェな。人物紹介と今後の物語の助走のために3冊の本のうちの1冊を使った。時は幕末、主人公の河合継之助は原理主義者である。原理主義とはもともとはキリスト教においての聖書の無謬性(聖書に書いてあることは絶対!)を信じて疑わないことであるが、この継之助はこの世のすべてに原理原則があることを疑わない原理主義である。

 

原理原則を貫くためなら人から見て奇矯な行動を取ることも厭わないし、人生には原理原則にのっとらない無駄なことに関わり合って生きる時間はないと言って憚らない。で、実際のところ何をしていたかと言うと幕末日本を乗り切るためには広く世界のことを知らねばならんし、様々な思想を学ばねばならんとして、越後長岡藩から江戸に出府した。

 

いくつかの塾に通うが詩文や洋学の勉強は一切やらない。遊郭ガイドブックを見てこれぞという花魁に会いに行ったり、外国人と友だちになったり、備中松山の藩財政の立役者、山田方谷に弟子入りしに行ったりする。まとまりないなあ、これこそが凡人には見えないこの世の原理原則を知るために必要なことなのか。

 

しばらく読んで、さてはこれ助走だなというのはわかったのだが、まあこれが長い。司馬遼太郎センセー自身が序盤長いと思うんだけど、これ必要なところだからよろしくねと文中でいうくらいなので私の気のせいではない。例によって、この本が幕末から戊辰戦争時、ほぼ無名の越後長岡藩家老 河合継之助の名を世に知らしめた歴史小説であることは上巻を読み終わってから調べて知った。

 

遊郭の豪華絢爛な設備や花魁がもつ高い教養に、世の中には一見大仰であっても必要なことがあるということ。幕府の威信が崩れゆき尊王攘夷の流れが強くなっていく中でも、徳川家に引き立てられて藩の地位を築いた恩を捨てることは出来ない。あくまでも継之助は武士であることを前提に原理原則を探っていくこと。

 

外国人から聞く世界の様子、外国船の武器の保有状況を対抗するためには到底今のままの日本では対抗できず開国し、同じように武器を手に入れなければならない。しかしそのためには商人の力を強くする必要があり、武士の力は削がれることになる。近い将来倒幕が起こるだろうことを予想する継之助。自らの立場の崩壊を予想するものであっても世の趨勢を読み、原理原則に忠実であろうとする継之助のスタンスが丁寧に描かれる。

 

時代や思考の背景が噛んで含めるように書かれているので、歴史物の中でも人気の幕末にすら明るくない自分はあーなるほどねと、一歩一歩その世界を理解し味わうことができる。

 

正直、継之助ってどうよ、こういう口だけの男って時々いるよねなどと軽薄な感想を抱いて読み始めたが、終盤の自らへの悪評を恐れず今後の世の中を見据えて藩主の京都所司代への就任の辞退を強く促す継之助に、ようやくこの男なんだか違うと気がついた。

 

良い仕事をするには貯金が必要なのである。貯金の内容は人によって違う。文字通り資金なのか、時間なのか、知識なのか、人脈なのか、経験なのか。司馬遼太郎が1冊の本を使って丁寧に行った河合継之助の貯金は彼にどんな仕事をさせるのだろう。中巻、下巻が楽しみである。

 

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