恐怖の構造

子供の頃、家族で海水浴に行くときに持っていった本が、キングの「霧」(後味悪映画「ミスト」の原作)。どこからツッコんでいいかわからない行為だが、おかげさまで、夜1人でトイレに行けなくなって、大騒ぎした記憶がボンヤリと。

私は怖がりだ。人はなぜ怖がるのに、わざわざ恐ろしい物を見てしまうのか。怪談、ホラー小説作家の平山夢明が描く恐怖についての考察。

ホラー嫌いの人にとって、恐怖というのは「ゼロをかけた」ような存在なのではないかと平山は言う。日々のささやかな喜びも楽しい気持ちも、恐ろしい体験はすべて吹き飛ばしてしまう。だから「すべて無にしてしまうものとは関わりあいになりたくない」と嫌悪する。

対してホラー好きは、恐怖を「これは自然数なのではないか」と考えると言う。生きていく上でなにかの足しになるんじゃないかと。怖い本を読んだり恐ろしい映画を観たりすることで人生が救われた経験をしている人間がいるそうだ。

両者の違いは「人生がどれくらい絶望的なのか」なのではないか。基本的に人生を肯定している人間はそれを壊されたくないから、恐怖を嫌悪する。日常生活が辛い人間は、高刺激な本や映画が日常を吹き飛ばしてくれるから恐怖を好むと。

平山夢明は川崎出身だそうだ。最近、「ルポ川崎」を読んだが、やはりエキセントリックな町だな。かくれんぼしているといきなり一升瓶で殴りかかってくるおやじ。公園で「男のパンチを見せてやる!」と樹木を殴りつけながら拳を血まみれにしているオヤジ。そんなのがたくさんいた町か。いや〜、そんなの困っちゃうなあ。

刺激について元からある程度耐性を持っている人間は、さらなる刺激を求めるのか。辛いもの好きの人がどんどんエスカレートしていくのに似た構造かしらね。

〇フランケンシュタインは子供時代のない人間だ。
〇笑いと恐怖の関係性。クラウンフォビア。
〇恐怖と不安の違いについて。
〇「ゴッドファーザー」、「タクシードライバー」、「羊たちの沈黙」、「エクソシスト」、「シャイニング」、ヒッチコック映画における恐怖について。
〇スティーブン・キングの小説について。
〇怖い小説の書き方。

それぞれ非常に興味深い。恐怖に対して、これほど多くの視点があるのかと驚きを覚える。

別に人生に絶望してはいないが、刺激に対する好奇心が強い私。
今後も怖がりながらも恐怖を探しちゃうんだろうな。あゝ恐ろしい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です