海街diary

私たちはこの作品を読んで、あたかも鎌倉に暮らしているような気持ちになる。江ノ電で毎日通勤をし、たあいもないことで姉妹喧嘩をしたり。恋をしたり、恋を失ったり。初夏に家の梅の木から実をとり、梅酒を作ったり。街の喫茶店でアジフライやシラストーストを食べたり。

 吉田秋生の描きだす情景は、季節ごとの彩りに満ちている。作品が完結した今、猛烈にさみしい。鎌倉で巡る季節を一緒に過ごし、姉妹たちとその周囲の人々の成長と変化を見守っているような気持ちだったのだ。寂しいのは当たり前だ。

 鎌倉に古くからある家で暮らす三姉妹は、幼い頃に女性関係で母親と離婚し、長い間音信不通だった父の死を知る。次女と三女で葬儀のため父の暮らしていた山形に赴くことになり、そこで二人が出会ったのは異母妹のすずという少女だった。

葬儀に遅れて参加することになった長女は、父親の死に際する状況と今後予想されるすずの立場を慮り、すずに鎌倉で自分たち姉妹と暮らさないかと切り出す。

 長女の幸は看護師。次女の佳乃は信用金庫勤め。三女の千佳はスポーツ用品店に勤め、それぞれ地元で働いている。

幸は同じ病院に勤める小児科の妻帯者である医師と不倫関係にあり、佳乃は勤めを微妙に外資系金融機関と偽り年下の彼氏と付き合い、千佳は同じスポーツ用品店に勤めるアフロヘアの店長と熱愛中だ。

鎌倉で暮らすことになったすずは地元のサッカーチーム、オクトパスに入り、風太、裕也、将志、美帆と出会う。

 家族という関係性。子どもの成長。学齢期の子どものスポーツ。人を好きだと思う気持ち。食事や生活を楽しむこと。患うこと。人の死について。死に際して起こる出来事。人生における後悔。人とともに生きていくということ。

物語の中では、実にさまざまな出来事が起こる。幸の看護師という仕事、佳乃の金融機関での仕事、千佳のスポーツ関係の仕事はそれぞれに深く関係し、物語の展開を描くのに最適だ。

さすが吉田秋生。確実な構成の中に、情感も笑いも込めて、登場人物たちを描くのが非常に巧みだ。

 作中では正しいことばかりは描かれない。姉妹の親たちは、なかなか自由に生きて死んで子どもたちを振り回す。幸も妻帯者である人間と恋愛関係にあるし、喫茶店のマスターにも人には言えない過去がある。

それでも人が生きるかぎり道はつながっていく。離れて暮らしても、死に別れても、後悔があっても、人が生きてきた中で築かれる歴史は心のよりどころになる。

 家族だからといって正しいわけではない。常に愛情深くいられるわけでもないだろう。それでも続いていく道があることそのものが、人が生きていくということなのだという確かな思いで物語を読み終えた。

最終巻で弱ったすずをいたわりながらも、猛烈に発情する風太にバカだね〜と笑いながら、番外編で描かれる数年後のすずたちの様子に胸をなでおろしつつ、未来に期待をもたせる。

やはり吉田秋生は緩急自在の、稀代のストーリーテラーなのだ。長い間、素晴らしい作品をありがとうございました。次は何書くんだろうな。

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