こりゃヤバイ本だ。戦後の食肉産業における同和問題がテーマのノンフィクションかと思ったら、そんなこぎれいな言葉では片づけられない。圧倒的に面白くて濃密な男の一代記だった。
上原龍造は同和地区出身。一代で食肉会社を興し、発展させた豪腕の持ち主である。家庭生活では2人の妻に6人の子を産ませた。
ヘビみたいに執念深く。筋を通すことを尊び。勝負勘に優れ。孤独の影を抱えた男。そりゃ女はほっときませんな。いや彼自身も女をほっておかなかったようだが。
こんな男と出会ってしまった女は、恐らく人の何倍かの幸せを味わい、何倍か不幸になるだろう。
先日2度目の成人式を迎えた自分は、正直にいうと同和問題があまりピンとこない世代か地域の人間だ。義務教育時代にそんな話を聞いたような気もするという程度。
「人権(問題)は儲かる」。作中、同和利権について述べられる時のこのあけすけな表現は、人道主義なんてクソ食らえとでもいうように、人間の金と上昇志向への渇望と執着を露わにする。
なかなか書くのをためらいそうな表現が散見される。しかし、てらいもあざとさもなく読むことができるのは、著者が同和地区出身だからというだけでないだろう。色彩と風味が濃厚でありながら、現実を俯瞰的に見る文章で描かれている。この作家がうまいのだと思う。
龍造の執念深さや執着は常軌を逸している。一度恨んだ人間は何十年経っても、たとえそのことで自分が大きく損害を被っても、決して許さない。
妻が浮気などした日には酷い修羅場で、間男は殴り殺されそうになり、妻だって殴る。でもそれで離婚したりはしない。妻への執着は激怒を超えるのだ。でも自分は浮気するけどね。
自分の考えに従い、他の道が近道や楽そうな道に見えてもそちらを通ることはしない。自分自身に対して筋を通しているのだ。その説得力や覚悟はヤクザからの信頼すら勝ち取る。モラル?そんなもん糞の役にもたたんといった風情。
時流に乗ったのも確かなのだろう。戦後の復興から高度経済成長の波に乗り、手っ取り早く稼げる手段として食肉の仕事を選んだ龍造は、辛抱するときは辛抱して修行し、必要なときは持ち前の勝負勘で上昇気流をつかみ、グングン成長し成功を果たしていく。
しかしながら、基本的にずっと龍造は飢えている。物質的にでなく、精神的に。妹を産む時に死んだ母。育ての親たちも、彼の成長過程で離れていってしまい、龍造は手のつけられないコッテ牛になる。子供時代に十分に愛されなかった。その渇望こそが龍造の原動力であったのだろうか。
冒頭の牛を割る(屠畜すること)シーンの克明な描写でまず度肝を抜かれる。私個人は、基本的に誰がどんな地域でどんなものを食べてもいいんじゃないの、という菜食主義とは程遠い思考で生きている。
しかしながら実際にスーパーで並んでいる牛が、屠畜されているところを見たことはないし、実態を知っているとも言いがたい。この描写を読むと、そりゃ人によっては気絶するだろうなと納得。
作品全体に流れるむき出しの「生」。それはある種グロテスクなほどであり、法律や、ましてや現代のモラルなどやすやすと乗り越えてくる。
あとがきでやっと作家が誰なのかに気づいて素直にあっと言ってしまった。我ながら雑な読書だ。気づいて読み返すと、それまで描かれてきた世界にさらにもう一つの世界が加る。
あとがきまで含めて、熱に浮かされるように一気に読んだ。これがノンフィクションだって言うんだから、フィクションの立場がありませんな。恐ろしく面白い。始まったばかりの今年のベスト10には必ず入る。