騙し絵の牙

ご多分に洩れず大泉洋を大好きな私としては、彼を当て書きした小説があると知っては読まないわけにはいかないのである。彼が言いそうなフレーズがバンバン飛び出しファンにしてみれば脳内再生が非常に容易い。作者はよほど大泉洋を分析したのだろう。

ほとんど飛び道具と言ってもいい大泉洋の当て書きを使って作者が描くもの。正直、イロモノかなそれでもいいや、くらいの気持ちで読み始めたのだ。これが意外や意外(失礼)大変面白いのである。

 

作者は「罪の声」(未読)でグリコ・森永事件を描きベストセラーになった塩田武士。メディアミックスされることの多い作家のようである。

 

本作に至っては、『大泉いわく、「そもそものきっかけは、「映像化された際に僕が主演できるような小説ない?」と長年尋ねられ続けた編集者が、『もうわたしがつくります!』と、塩田さんへ執筆依頼に伺ったことから始まった企画」』とのこと。本作は当初から映画化を見据え執筆され、2020年に映画の公開が決まっているようだ。

 

著者は器用な人であるように思う。「罪の声」の各所でのレビューを読む限り、別にコミカルを主とする作家ではないようだが、必要に駆られればコミカルとシリアスを織り交ぜて、読みやすく人を選ばず誰にでも楽しめる作品を書くことができる。しかも出版業界の現状と今後への展望について織り交ぜながら。

 

出版社の雑誌編集長である大泉洋もとい速水は天性の人たらし。人の気持ちと空気を読んで、場を盛り上げ周囲に活気をもたらす。人当たりの良さとモノマネ(笑)は天才的で、付き合う人々は自然に速水に惹きつけられ好きになる。

 

しかし斜陽の出版業界で、速水の所属する出版社でも雑誌の廃刊が相次ぎ、速水の担当雑誌にも廃刊の危機が訪れる。曲者の上司に期限までに売り上げを黒字にしなければ廃刊と言い渡された速水は、なりふり構わず売り上げ増加に向けて動き出す。

 

近年、出版業界の今とこれからについて語られることは多い。作家を育てなければ本は生まれない。しかし本を買う人間が減り、中古本市場が確立され、電子書籍の台頭でますます実入りの減る出版業界では作家を、本を育てる経済的な余裕がない。

 

速水は古き良きやり方で、作家に継続的に作品のための資料を渡し連絡を続けたり、新人作家の芽を育てるために別雑誌の作家であっても面倒を観て懸命に育て、なんとかより良い作品を生み出せるよう努力するが、その結果はなかなか簡単に出ない。

 

マンガ業界でのエージェント制度の導入。スポンサーの撤退による売上減。加えて曲者上司の社内政治に巻き込まれ、人手不足の中残った部下たちは軋轢を抱えている。さらに社内にはリストラの話まで持ち上がる。速水はどんどん追い込まれていくが。

 

最近語り手が章ごとに変わっていったり、時間を時系列でなく遡ったり、行き来したりする小説が多い。それはあくまで手法の一つであり効果的な表現を生むこともあるが、拙い理解力である私のような読者の混乱を招くこともある。

 

本書はプロローグとエピローグを除き、本章ではずっと速水の視点に立ち時系列に沿って物語が進む。非常に読みやすく、深読みせずとも素直に読書を楽しめる。

 

中盤、若干冗長に感じるような気もしたが基本的にはキャラクターの魅力とストーリーの構成でグイグイ読ませる。門外漢でも理解できる出版業界の実情・会社員としての悲哀の描き方も巧みで実に達者だなと感じる。

 

しかも、ほぼプロローグとエピローグのみを使っての意外性ある展開も楽しめる。

 

出版の存在意義とは何なのかについて、終盤で綴られる内容について、賛否はあるにせよ現時点での最善の手段であることを否定する本読みは多くはいないだろう。ある意味で、速水の周囲を生かし成果を出すキャラクターを生かした最適解であることは、多くの伏線の回収が証明している。

 

読みやすいから悪い小説なのではない。難しいからいい小説なのでもない。逆もまたしかり。面白いものがいい小説なのだ。大泉洋目当てで読んだ本で、シンプルだが本にとって大切なことについて見直せたような気持ちだ。

 

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