盛夏である。夏といえば怪談話。というわけでタイミングよく手に入ったのでジャパニーズホラー。第22回日本ホラー小説大賞受賞作。このあいだ読んだ夜市もこの賞を受賞している。
タイトルが怖くて良い。本を選ぶとき、タイトルから受ける印象を大切にしている。説明するのか、暗喩するのか、テーマそのものにするのか。
この本については「ぼぎわん」という聞きなれないがどこか不気味さを漂わせるものが「来る」らしい。得体の知れないものが近づいてくることは恐ろしいことだ。硬く施錠して閉じこもるか、守ってくれるもののいるところへ逃げ出したくなる。
もうひとつ恐ろしいのは「来る」理由がわからないことだ。なぜ「来る」のか。自分が原因なのか?周囲の人間?環境そのものが?自分の中に自らも知らない暗い要素があるかもしれない。わからないことは恐ろしい。
以下ネタバレ
雑に言うと、昔、口減らしのために山に捨てられた子供や老人が口だけの化け物になって、現代の隙間風の吹いている家族を食い散らかすと言う話なのだが。
口減らしについて考えると、日本ではとりあえず現世では死んじゃって、死んでから化け物になって鬱憤を晴らすケースが多いのだろうか。集団の意向には逆らわないから死ぬけれども、納得してるわけじゃないんだからね!という怨念や執念がなんとも内向きだなと思うのである。
そこへいくと同じ口減らしでもヘンゼルとグレーテルなんかは、なんとかして家に帰ってやるという強い気概を感じる。そして、いよいよ帰れなくなったら自分たちで魔法使いと戦ってお菓子の家を強奪するという外向きのたくましさ。どちらかと言えばこちらに憧れてしまうのだが国民性の違いが感じられて面白いものである。
大きく3章に分けられた物語でもって、徐々に「ぼぎわん」が近づいてくる様をうまく表現し恐怖を盛り上げている。
最初は名前もしれなかったものを、遠い身内からだんだんと近い身内にアプローチしてくることで、近づいてくるものであることを認知させる。恐ろしいものから家族と自分を守るために御守りをたくさん買っても、人を頼ってもなかなか救いにはならない。
各章で語り部を変えることで、その章では見えてこなかった登場人物の別の側面を描き出していく。幕間に挟まれる人間の憎悪や妬み、劣等感がさらに「ぼぎわん」を近づけ、その正体を明らかにしていく。
死んでから口だけの化け物に自らを錬成できるくらいなら、生きている間にみんなで協力して生き長らえる方法が見つけられなかったものかなどと日本式の情緒も風情もしがらみもだいなしなことを考えてしまった。
本作では最後には心に傷を負った霊能力者たちが戦って化け物を退治する。そんなところも欧米化しているのだなととりとめのないことを考えて現代の怪談本の読了となった。