鎌倉武士の無慈悲ぶりと溢れんばかりの情緒が相変わらずの町田康節で綴られる一冊。
町田康が、義経が絶好調に勝つ屋島の戦いや壇ノ浦の合戦のくだりを勢いよく割愛するものだから、気がつけば義経は頼朝に追われる身になり非常にナーバスな情動。
源頼朝に差し向けられた刺客、土佐坊正尊(土佐坊昌俊)に狙われるも、頼朝に敵対視されてしまい、やさぐれて泥酔しているところを静御前に叩き起こされ、屋敷に残っていた喜三太の活躍でもってなんとか苦境を乗り切るが。
て、ワタクシ勉強サボってた上に歴史にも明るくないのでわからないんだけど、これ義経記に忠実なんだよね。いや義経記にはふてくされて泥酔する義経も、メンヘラの弁慶も出てこないだろうけども。
最近ツイッターでマンガ「ドリフターズ」を取り上げて、鎌倉武士の無慈悲ぶりをつぶやくものがあった。
源頼朝は味方が戦で勝ったら、力が大きくなりすぎないうちには鎌倉に呼んでは殺し、呼んでは殺してを繰り返して、まあ鎌倉武士の無慈悲ぶりは忙しく酷いね。というようなツイートであったのだが。
ジェフ・ベゾスには敵対する会社が現れたら買収して自分と同化させるという手があるけれども、鎌倉武士はそんなわけにいかんので。
敵対したら殺すのはもちろん、敵対してなくても可能性があったら殺す。味方していても分が悪そうだったらさっさと見捨てて殺す。そんなにみんなで殺し合いしてたら、人いなくなっちゃわないのかしらと思いながら読んでいたわけだが。
義朝が義経と共闘したのだってあくまでも手段の1つとしてであって、身内であったからと上手くいってるうちはいいけれども、義経が京都で重用されるようになったらアイツ、力持ちすぎて危なくない?つって命を狙うようになるのは他と一緒だったと。
義経征伐のため鎌倉を出発した頼朝と本格的に戦うことになった義経。京都を戦場にしないで西国(中国、四国、九州地方)でもって戦いますからとか言って天皇の宣旨を受けて都落ちとか言われながら出帆。
船旅で嵐に遭い、酷い目にあいながらたどり着いた住吉港で、上野判官らと戦い弁慶や常陸坊海尊らが血みどろの戦いでケチョンケチョンに勝つ(まーた殺してる)。
陸に上がり北条時政に狙われてるらしいという噂を聞いた義経は吉野に向かい情報収集する。吉野の山で過酷な旅程でもただ一人手元に残しておいた愛妾、静御前と別れることにして、弁慶たちに白い目で見られながらも、非常に悲しむと。
はらわた振り乱しながらの戦場シーンと、天皇の権力を利用しながらの政治的活動の場面、1人の女との哀切極まる別れのシーンがほぼ同時進行で繰り広げられ、この時代の人々全体が情緒不安定、もとい情感豊かだったのだろうかと思いながら読了。