冒頭にいきなりバーン!と広げられる、壮大なスケールの大風呂敷!
にも関わらずストーリーは大きな2つの流れの中で、計算し尽くされた緻密さと読むものを引きつけて話さないダイナミズムという矛盾した要素を備えながら、非常に華麗なまとまりをみせる。
「知識」と「創造力」、「痛いほどのリアリティ」と「フィクションとしてのエンターテイメント性」というのはこんな風に共存できるものなのかと衝撃を受けた。
とても雑に言うと、サピエンス全史風味の極上サスペンスアクションSF(劇的に面白い)とでもいう感じだろうか。
米大統領バーンズはアフリカで未知の生物が発見され、それは人類を脅かす存在だと報告を受ける。大統領は未知の生物を退治するため、民間傭兵であるジョナサン・イエーガーらを雇い、現地に向かわせる。彼らにはその生物の正体を何も教えずに。
イエーガーは米軍を使わず傭兵を雇い、詳細も告げない政府の方針を怪しんでいたが、難病を患う息子の高額な医療費を稼ぐため、高額なギャラが約束された仕事を受けることにする。
一方、日本では研究者であった父を急な病で亡くした古賀研人が、父から残された謎のメッセージを読み、困惑していた。自らも大学院で創薬科学を研究していた研人は、さえない研究者だと思っていた父の残した研究材料を理解するにつれ、その内容に驚愕する。
父が残したパソコンに入っていたのは現代の科学では到底作れない創薬のためのソフトだった。そんななか、研人は自分が何者かに観察され、追われていることに気がつく。
物語は大きくこの2つの流れの中で動いていく、かたやアフリカの紛争地帯コンゴでの血まみれの戦闘逃亡シーン。かたや日本でぬるめの大学院生活を送っていた青年の研究者としての目覚めと成長。
イエーガーたちの血まみれの戦闘劇では徹底して人間の愚かさが描かれ、まさに人間が獣のようだ。どのツラ下げて他の生き物を獣などと見下げるのか。人間の方がよっぽど恐ろしくておぞましいと怖気をふるう場面が続く。
また、賢い生物を見て、賢くて可愛いなどと思うのは、あくまでも自分がその生き物より上である場合に限るという人間の自己本位な本質もつまびらかにされる。自分より賢い存在はイコールで脅威なのだ。シャチやイルカが群れをなして人間を襲うようであれば、人間はすぐに駆逐していたのではないだろうかと想像してしまう。
研人は自分の研究の目的がはっきりせず父親同様にさえない研究の日々を送っていたが、報われない理系研究者の文句と愚痴ばかり言っていた父をどこかで軽蔑していた。しかしその父が行なっていた研究が多くの人間を救うものであったことを知り、研究者としての意義について自分を見つめ直していく。そして文句ばかり言っていた父が、それでも研究をやめられなかった理由である研究の面白さを身をもって感じるようになる。
壮大な展開が起こるストーリーというのは、いきおい伏線張りに終始してしまったり、妙に感傷的であったりして、肌に合わないこともあるのだが、本作は複数箇所で展開されるストーリーと徹底したリアリズムで、飽きることも退屈させることもなく読み進められる。
内容的には少し難しいところもあるのだ。「生物と無生物のあいだ」を読んでおいて役に立ったわ~などと思いながら、生物の進化についての辺りを読んでいた。しかし、それは少しネットで調べればわかるくらいの難しさだ。
この少しだけ難しいというところが、ミソなのではないかと思うのだ。もちろん全部わからなくてもストーリーは追えるし楽しめる本であると思う。
しかし、あの本で出てきたアレ、あのドキュメンタリーで見たソレ、はたまたGoogle先生が教えてくれたコレというふうに、今までの自分の雑多で散らかった知識がパシンパシンと繋がりつつ、さらにそれが自分の想像を超えて展開していくこの面白さと痛快。
それはあたかもシナプスが電気信号で情報伝達をするさまのようだ。そして、この本は「あの時のアレはこういうことか!」というような気づきを、読んだ後でもくれそうな気がする。
展開においても急すぎることも遅すぎることもなく、読み手を納得させつつドラスティックに展開していくストーリー。どの場面でもサスペンスとしての新鮮な内容にページをめくる手が止まらない。
そしてさらに「彼」が登場してからの展開については感嘆しか浮かばず、何を食べて、どれだけ勉強するとこんな話が思い浮かぶのかと著者の脳の構造をこそ疑ってしまう。
タイトルが表しているように凄惨で悲惨な場面も少なくなくあるが、それを上回る圧倒的な面白さと謎が解明される爽快感。日本推理作家協会賞、山田風太郎賞、名だたるミステリーランキングでも1位を取ったという評判は伊達ではなかった。素晴らしい面白さだった。