11人が死亡した放火火災事件現場の側の公園に、酩酊した中学生と子供をジャングルジムで遊ばせる母親、ストロングゼロを片手に遊具に乗る老人がいる。そのほんの10メートル先には川崎警察署がある。この何もかもがごっちゃになって共存する場所はなんだ。
自分の中の、この悪趣味で物見高い気持ちは何なんだろうとずっと思っていた。スラム・ツーリズムというらしい。
「追悼のため、知的好奇心を満たすため、チェルノブイリ原子力発電所や、グラウンドゼロといった悲劇の跡地を訪れるダークツーリズムの変種。スラム・ツーリズムは文字通りスラム=貧困地域という、現在進行形で人々が生活している場所を訪れるため、たとえ慈善や学習のような目的があったとしても、より倫理的な問題が発生しやすくなる。」
川崎には北部と南部があり、北部は新興の住宅地、南部は工場地帯の特徴を持つ。
北部ではかつて小沢健二が、自身の抱える空虚さを「川崎ノーザン・ソウル」と呼び、南部ではラッパーのA-THUGが、荒廃しているからこそラップ・ミュージックの聖地と化したシカゴのサウスサイドに重ね合わせて、「サウスサイド川崎」と呼んだ。
川崎南部で育った子供たちには、生きていくのにあまり選択肢がなかったようだ。工場地帯で育った彼らは、多くがアトピーや喘息の持病を持っている。裕福でなく、家庭環境も複雑なことが多く、成功事例として目指すべき大人も少ない。近しい大人たちは暴力団か職人、風俗関係に麻薬密売人。
少年たちは狭い地域社会で育つ。地域は密接に結びつき、親戚や知り合いがそこかしこにいる。友人同士の結びつきも強く、当時かなり話題になった「川崎中一殺害事件」の加害者や関係者は、作中に出てくる人物たちの友人や知人であることも多い。
事件当時、取材に対して、事件をイベントのように語る若者たちを見て、記者は「こんなに事件を楽しんでる地域は初めてだ」と語ったそうだ。
「川崎のこのひどい環境から抜け出す手段は、これまで、ヤクザになるか、職人なるか、捕まるかしかなかった。そこにもうひとつ、ラッパーになるっていう選択肢をつくれたかな」
作中でラップグループBAD HOPの双子のリーダー2WINことT-PablowとYZERRは語る。作中の青年たちは、音楽やスケートボード、ダンスを使って自己表現をしようとする。皮肉にも、川崎という街の忌むべき部分が、彼らにラップという音楽をもたらしている。
彼らは決して川崎を嫌ったり、憎んでいるばかりではないようだ。本の帯に「ここは地獄か?」という衝撃的な言葉があったが、川崎は架空の地獄ではない。
陰も陽も丸ごと飲み込む現実のこの町は、彼らの親であり、彼らそのものなのかもしれない。この国は、私が思っているよりも、ずっと広く、いろんな面を持っている。
これは本当に日本の話かなと思いながら読んだ。無機質な工場地帯の街に、どこよりも人間臭い人達が住んでいるのだ。