居酒屋の戦後史

著者はぶち上げる。
「酒を楽しむことは人権の一部だ。誰でも酒を楽しめる社会を」
そんな高尚なこと考えて、酒を飲んだことはなかったな。

 

しかし、この本を読んでいると、確かに酒を飲む時は、社会が安定していないと楽しめないというのを実感する。

 

「酒」という観点から、戦後日本の歩みを振り返る。

 

戦後まもなくの頃は、酒どころか食べ物もない。しかし、ヤミ市には飲食店が多くあり、かなりの数が飲み屋だったそうだ。

 

そこで売られたのは、バクダンやカストリと呼ばれる密造酒で、味や安全性を度外視し、ひたすら酔うためのものであったようだ。

 

バクダンは燃料用アルコールを薄めたもので、メチル中毒の原因となる。黒澤明の「酔いどれ天使」のなかのセリフで、「お前のところの酒はアルコールというより石油に近いからな」というセリフは、なかなかパンチが効いてる。

 

新宿の思い出横丁って、ヤミ市の名残なのか。知らなかった。ゴールデン街もヤミ市だったようだが、1950年ごろに現在の場所に移転したものであるらしい。

 

戦争を生き残った文士たちの飲み方は、すさまじい。

 

もともとお好きな方々であるのだろうが、それに輪をかけて、生き残ったものの「センス・オブ・ギルティ」が、さらに輪をかけて、酒への欲求を高めたのだろうか。

 

高見順。山田風太郎。古川ロッパ。徳川夢声。坂口安吾。内田百閒。なんかのネジが外れちゃったように、豪遊暴飲を繰り返す彼ら。もともとネジがない人たちなのか、戦争が彼らのネジを外しちゃったのか。

 

坂口安吾の「金銭無常」の中で、主人公が考える「破壊のあとは万事享楽から復興する」という言葉で、戦後を生き抜こうとする人々の強さに圧倒される。

 

戦後の復興は、新宿・新橋・渋谷・池袋の4つの駅の周辺に林立したヤミ市と、その後設けられた駅前広場でも進んだ。

 

東京都の建設局長を務めた都市計画課の石川栄耀は、戦災を機に東京を大改造しようと考え、大規模な戦災復興計画を立案した。

 

あの辺の繁華街が栄えてるのは戦災復興が起源なのか、へー!おかげさまで、お世話になってます。

 

食糧統制下の日本では、ビール醸造の副原料に米が使えなくて、代わりにでんぷん入れて、ホップの使用量を減らしたそうだ。結果的に、日本人のビールに対する志向を淡白化させたのでは、という説が出てくる。

 

確かに、大手メーカーのメジャーどころのビールは、淡色ラガービールが多い。あれは、あれで食事を選ばないし好きだが、クラフトビールのそれぞれ異なった味わいもあってほしい。

 

高度経済成長期には、居酒屋チェーンが出現、拡大していく。「天狗」チェーン、スーパーマーケットの「オーケー」、警備システムの「セコム」、そして「日本名門酒会」。それぞれの創業者が兄弟とは知らなかった。飯田四兄弟恐るべしだな。

 

現代日本では、良い酒を作り、売ることができる世の中になり、お金を出せば美味しい酒が飲めるようになった。しかし、格差社会であるがゆえに、嗜好品である酒を飲まなくなる人が増えている。

 

酒を安全に飲むためには平和でなくてはならない。そして酒文化を発展させて行くためには、格差のない社会であることが必要だ。

 

酒は人と人との間を醸す。そこで醸成されるものを、大切にしていける世の中であればいいのにと、酒好きの自分は切に願うのである。

 

居酒屋の戦後史」への2件のフィードバック

  1.  分かりやすい文章で、愉しく読ませていただきました。

     二つの点で興味が湧いたので、是非読んでみようと思います。 

     また、お酒を飲みながら語り合いたいな!

    • 斎藤さん

      コメントとフォローありがとうございます

      そして先日は楽しいお酒もありがとうございました笑

      不思議なご縁ですが、ブログともども、また◯ちゃんなどで出会ったら、よろしくお願いします。

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