よくよく読むと行動・思考に矛盾があるような気がするのに矛盾していないのはなぜなんだろうと思いつつ読了したが、司馬遼太郎が後書きでわかりやすく説明してくれていた。
『「いかに藩をよくするか」という、そのことの理想と方法の追求についやしたかれの江戸期儒教徒としての半生の道はここで一挙に揚棄され「いかに美しく生きるか」という武士道倫理的なものに転換し、それによって死んだ。』
揚棄って何さと思って調べたら「⇨止揚。ヘーゲル弁証法の根本概念。あるものをそのものとしては否定するが、契機として保存し、より高い段階で生かすこと。矛盾する諸要素を、対立と闘争の過程を通じて発展的に統一すること。(大辞林 第三版)」なるほどまさに河合継之助は揚棄したのだ。
中巻まで読み終わり、これは「物事を終わらせる人」の物語ではないかと思っていた。物事の仕舞い際というのは、難しくて評価されづらくて損ばかりする誰もがやりたがらない仕事である。けれど、ちゃんとした人が仕舞いにしないと、その禍根は未来に長く大きな影響を及ぼし物心両面に多大な傷を残す。
下巻を読み始めて、あ!サーセン!!終わらせるつもりなんてサラサラないっすねと認識を改めた。江戸で買い集めた米を函館で売り、同じく江戸で集めた銅貨を新潟で売り金を稼ぎ。刀槍を捨てさせ西洋銃で藩士を訓練させる。東軍にも西軍にも与せず中立的な藩を目指すためには経済的にも軍事的にも独立する重要性を認識している継之助。
しかし同時に、万一の場合のため藩主親子をフランスに亡命させる手配をスネルに頼みながら、西洋人とは狡猾なのだと言う。その狡猾な外国人に藩主を託すのはどういう心理なのか。自分は同行できないことをわかっていながら、日本に置いとくよりはマシなのか。行動言動に矛盾を感じる。
小千谷での嘆願に失敗し永世中立的な藩を作る夢が破れた継之助は、それまでの戦争はしないという立場を止め官軍と徹底抗戦に踏み切ることを決意する。それは彼の意図しない軍師的才能を明らかにするが、戦力の違いと時勢的な流れは如何ともできず、結局は戦時に負った傷が元で死んでいく。しかしその死に際は見事と言わざるを得ない。
戦国の時代を終わらせ三百年続いた徳川幕府が生んだ武士という稀少で多少風変わりな美しい生き物が河合継之助に昇華され、幕府の終わりとともに滅びた。彼は私の浅はかな見方による「終わらせる人」などでなく、徳川の時代そのものだったのだ。